映画、そして記憶のこと

第8期(2013年4月-5月)

好きな映画は、と問われたら山のようにあるけれど
ヴィム・ヴェンダースのパリ・テキサスは間違いなくその中の一本に入る。

最初に見たのは確か18頃で、映画が大好きだった彼に薦められてみた。
よく読んでいた荒木陽子の「愛情生活」にも紹介されていた。
色彩が男らしく、砂漠をすたすたとひたすら歩く
赤い帽子をかぶった主人公のトラヴィスにすっかり脳をやられてしまった。
愛する人を胸に抱えた人は時々悲しく写る。
愛、というのは人それぞれ形や思いの深さが違うのは当然だけれど
わたしはまだ経験が浅いにも関わらず、トラヴィスの愛し方はよく知っているような気がした。
それはとても身体に近いように感じた。

映画は物語と関係ないシーンを記憶に残していくときがあるけれど、
忘れられないのは、トラヴィスが昔のフィルムを見て、妻であったジェーンと親しみ深く微笑む映像を見て
そうっと目をおさえるシーンは、いまでも時々ふうっとよみがえる。
愛することは時々悲しい。
永遠は難しい。
トラヴィスは何も言わない、家族もただ視線を投げかけるだけだ。
でもその思いは体中から零れ落ちてしまっている。

その全体の感じを、わたしはよく知っているような気がしてしまうのだ。

好きな映画は繰り返し見る。
飽きずに同じ映画を何度も見ては、やっぱりいいなあとしみじみ思う。

映画をみていると、物語が始まる前までは知らなかった人々が
胸の中でしずかに息づくときがある。
そしてその人たちに静かに親しみを感じながら、忘れた頃に思い出しては温かなものに包まれる。

映画館とその記憶もある。
いつだったか札幌のシアターキノで見た「酔いどれ詩人になるまえに」は、
劇場の狭さと、旅行できているわたしの寄る辺なさと、ブコウスキーの乾いた物語
思い出すたびに札幌の冷たい空気まで肌に蘇る。

いつまでも目だけ残して、映画を見ていたい。
そして生きてはいない、でもどこかで生きているかのような物語に思いを馳せていたい。