記号の陶酔

第8期(2013年4月-5月)

水の大理石には糸のように細い針で波紋を作る差し手が伸びていた

その日は音楽も聞かずにバスに乗って
静かなひとりの時間を過ごした

二枚の羽は静かに呼応しあって重なり合った
二枚の鏡に挟まれて普段は巡り会わないふたつが出会った

静かなカフェで いつ来ても変わらぬもてなしを差し出され ゆるりと寛いだ
いろんな話をした
女の子の話はえげつない、と笑った
けれど愛があるから、許してね
あんな事言って、ほんとは私も彼女も、惚れてしまった方なのかもしれないと思った

病院から帰る道すがら どこからか春のにおいがして嬉しくなった
彼女がまた3人でお茶しましょうと言った
彼女が「今年最後にあなたの顔を見れた」と言っていたのに、それは「最後」になってしまったのだろうか
さよならは突然やってくる
それがとても悲しい
けれどあなたとは、また絶対に、逢いたい
ちゃんと見つけるから、だから、生きていて

共有することはこんなにも難しかったっけ?
わたしの言葉は、どこか遠い国の ごく少数の人々にしか通じない言葉のように無に投げかけられる
彼女はありのままの、わたしですら気がつかないものを見てくれていた
必要としているものを汲み取って水を飲ませ、決して押し付けたりはしなかった

差し出された松杖を抱きしめる
その輪郭をなぞり 少し口にふくんでみる
その味を確かめ その感触を確かめ 手をそわせる
握る 離す 少し遠くから眺め また握る 今度は離さない 

犬笛は今でもやはり耳にする
けれどそのにおいまでは、確かに、感じていなかった

わたしは感じているふりをしていた
そのことを、恥じた

わたしのなかに あの糸のように細い針がどこからか伸びてきて
浮かんでは消える言葉に波紋を作った

それはもともとの大きさよりも伸びたり縮んだりして
予想もしていない場所に広がった

ことばはいつだって その通りに伝えてくれない
どこからか細い針が伸びてきて ことばを伸びたり縮めたりしてしまう

伝わる事なく無に浮かんだことばたちは
もうなくなってしまった島の上をいつまでも旋回する鳥のように ぐるぐると周り続ける