FAUCHONの紅茶

第11期(2013年10月-11月)

夜になると煌びやかなネオンで彩られる町も、昼間は驚くほど閑散としている。夜の間に放たれた下卑た匂い。理性から解放された生き物としての人間の匂い、生臭さ、駆け引き。町を満たしていたそれらが、夜明けとともに静かに辺りに染み込みこんでいく。地面に、建物に、家路に着く人の体と魂の中に。そうやってできた、おりのたまった町。太陽や月よりも人の作った光が似合う町。私の育った町もそうだった。雨のしのつく午後3時。繁華街の中の小さな通りで傘をさし、私は自分の育った土地を思い出していた。私は自分の育った土地から逃げ出して来たはずなのに、どうしてまた同じような場所に立っているのだろう。アスファルトに跳ね返った雨が、ブーツに滲みを作った。私の待ち人はまだ来ない。

私はここへ来てから人と関わることを避けてきた。人付き合いが苦手なわけでも、怖いわけでもない。失うことの痛みが辛いからだ。別れは何度経験しても、慣れることができない。私の中にできた誰かの居場所が突然なくなって、私の中に穴が空く。穴を埋める方法は時以外に私は知らない。私の居場所が誰かの中にできて、私がその誰かに穴を開けることだってあるだろう。私は誰も傷つけたくない。だから、私の居場所は私の中だけで十分だと思った。私の存在が私の手に余るようになったなら、誰かではなくどこかを探せばいい。私は、一人になれる心地よい場所を探した。大方それはカフェで、読書をしたり書き物をしたりしながら時に数時間を費やすこともあった。一度訪れたカフェに二度行くことはなかった。町にあるカフェのほとんどを訪ねた後、カフェが喫茶店に代わった。喫茶店の中でも、純喫茶と呼ばれる場所。その中のいくつかが私のお気に入りになった。例えば、おとぎの国の一部を切り取ったような店では、青い光の中に夢を見た。ヨーロッパの貴族の別荘のような店では、白と黒の葛藤をウィンナーコーヒーの中に見た。イタリアのバロック様式とそこにつつましやかに立っているメイドのいる店では、普段吸わない煙草に火をつけてみた。どの場所も特別だった。その町に染まらず、かといって浮き上がっているわけでもない。町と一定の距離を保ちながら、何十年と存在し続けていたからに違いないと思った。

お気に入りの中でもさらに特別な場所があった。私が初めてそこを訪れた時は午後11時を過ぎていた。けばけばしいネオンと音、呼び込みの群を抜けて路地に入ると、看板のかかった扉が見つかった。期待に胸をふくらませて扉に手をかけた。入ってすぐの左にカウンター。奥にはテーブル席が幾つかある。店内には他に3人ほど。私は空いているテーブルを選んだ。赤いビロード張りの椅子。絵でしか見たことがなかったけれど、迎賓館に招かれているような気持ちがした。その場所を切り盛りしていたのは一人の女性で、歳は80をゆうに超えているように見えた。腰の曲がったおばあさんとは言うけれど、その女性は本当に腰が90度に曲がっていた。私はストレートティを注文した。女性は「紅茶は特別なの」と言って微笑んだ。その笑顔に私は品の良さを感じた。年齢的にはおばあさんだけれど、私は心の中でその女性をマダムと呼んだ。その方がふさわしいと思ったからだ。私は店の中をゆっくり眺めた。その空間だけ時が止まっているのではないかという錯覚に陥った。私は町の中の喫茶店を訪れた客ではなく、喫茶店という完結した世界の住人だった。目を奪われていて気がつかなかったけれど、音楽が流れている。タンゴだった。タンゴに詳しいわけではなかったけれど、聞いたことのある曲だった。私はいつものように時を忘れて書き物をした。気がつくと1時間が経っていた。けれども、私の目の前にあるのは水の入ったグラスだけ。注文を忘れられているのではないかと思って辺りを見回してみると、他の客も同じだった。けれど、誰一人いらいらしている人はおらず、それぞれに時を楽しんでいるようだった。私は結局2時間待って、上品なカップの中に注がれた緋色の液体をゆっくり味わった。

二度目にその店を訪れた時には、客が多かったせいか、紅茶が出てくるのに3時間がかかった。私は帰り際に、何時頃開くのかマダムに尋ねた。マダムは「お昼過ぎだけれど、何時になるかは分からないし、開けないこともある」と言った。人と関わることを避けてきたけれど、私はこのマダムともっとお話をしたいと思った。「次はお昼に来ます」と言って私は店を出た。

昼にその喫茶店に向かうと、看板は裏返しになっていた。しばらく待ってみたが、開く気配がないので夜に再訪することにした。看板が表になっているのを確認し、扉を開けると、マダムがカウンターでうとうとしていた。客は誰もいなかった。私は椅子に腰掛けしばらくタンゴに耳を傾けていた。気持ち良さそうに眠っているので起こすのは悪いと思ったけれど、目が覚めた時に人がいたらびっくりするだろうと思って、小さな声でこんばんはと言った。私はその日、マダムがおすすめしてくれたブランデー入りの紅茶を注文した。30分ほどで紅茶が出されて驚いてしまった。今日はお話できるかなと思ってカウンターを振り返ると、マダムがうとうとしていた。私は紅茶のお金と「また来ます」というメモを置いて店を出た。

傘から滴る雨粒が私の肩を濡らしている。スカートの裾もびしょびしょだ。雨の中待ち続けて30分。腰の曲がった女性がスーパーの袋を片手に店に入った。しばらくして、看板は裏返しのままだったが、私も店の中に入ることにした。マダムは私の姿を見つけると「まだなのよ」と言った。私は「待たせてもらえますか?」と聞いて、テーブルに着いた。「電球が切れてしまって」とマダムはビニールの袋の中から電球を取り出していた。腰の曲がったマダムでは、どう見ても電球の付け替えは無理そうだ。私は、自分から申し出て電球を付け替えた。「食べるものはトーストくらいしかできないの」とマダムが言った。私は、いつものように紅茶を注文した。そしてマダムはいつものように、紅茶は特別なのと言って笑った。紅茶ができるまでマダムといろいろな話をした。その店の歴史、マダム自身のこと、町のこと、それから特別な紅茶のことも。話を聞きながら、私は今まで見ていなかった店を入ってすぐ右側の壁を見た。店には似つかわしくないどこかの銀行か保険会社だかの社名が入った質素なカレンダーが掛かっていて、そこにはびっしりと病院の予定が書き込まれていた。店がいつ開けられるのか分からない理由はそういうことなのだと理解した。マダムは「音楽をかけないと」と言って、店の名前の由来となったタンゴをかけた。暗い店内に明かりが灯った。腰の曲がったマダムがせっせと動く姿に私は、祖母の姿を重ねていた。私は両親が共働きだったので、祖母に育てられた。よく喧嘩もしたが、一番の理解者だった。町を出て祖母と一緒に暮らす約束をしていたが、祖母の体が弱っていき、その約束が果たせなくなった。年に数回しか会うことがなくなり、その度に祖母は弱っていて、家族の顔が分からなくなっていった。けれど、私が会いに行くと、私のことだけは最後まで覚えていてくれていた。20歳を超えても、祖母にとっては私は幼い孫だった。お腹が減ってないか、寒くないかといつも心配してくれた。私の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれた。私がこの町に来て数年が経ち、いつものように帰省すると祖母の姿はなかった。私の知らないところで、祖母は施設に入れられていた。
私はいつの間にか泣いていた。マダムが声を掛けてくれたが、言葉が出なかった。「辛いことがあったのね」と言って、マダムが私のことを抱きしめてくれた。私は声を上げて泣いた。頭をなでてくれる手に祖母の温もりを感じた。
最後にその店を訪れることになったその時に、私は写真を撮らせてほしいとマダムに言った。買ったばかりのsx-70に初めてフィルムを通すのに、最もふさわしいのはその人しかいなかった。「綺麗にとってね」とマダムは言った。他にも店の写真を何枚か撮ったけれど、暗い店内だったのでほとんどぶれてしまっている。

それ以降何度かその店を訪れたが、看板が表になることはなかった。後で聞いた話によると、マダムもどこかの施設に入ることになり店を畳んだそうだ。今では全く違う店になってしまっている。時の止まったような、独自の時を刻んでいるようなあの空間はもうない。

私はその写真を取り出して時折眺める。それからレコードに針を落とす。
そして、紅茶を飲むと決めてから淹れるまでゆっくりと時間をかけて、タンゴの調べに耳を傾ける。