ドラマチックな非日常の欠片。(2014.05.15)

第14期(2014年4月-5月)

20140515
「あと5分。。。」

 その日は仕事を時間通りに終える事ばかり考えていた。というのも、僕は定時の10分後に発車する電車に乗らなければならなかったからだ。週末の夕方はまだまだ人が多くて、お店のあるショッピングセンターは、たくさんのお客さんで賑わっていた。働いている場所は特別田舎ではなかったけれど、利用者のわりに電車の本数が少なく、タイミングを計って駅に向かわないと、次の電車まで30分待つ事も珍しくなかった。

 そういう時ほど上手くいかないもので、クレームだったり、修理の持ち込みだったり、話好きの常連さんだったりとややこしいお客さんが来ることが多い。その日に限って言えば、そういうお客さんこそ来なかったけれど、来店は終始途切れずモヤモヤと時計を見る回数ばかりが増えていた。結局、乗りたかった電車には乗れず、次の電車になんとか滑り込むことができたのだった。

 その日は僕たちの週末(二人ともサービス業なので基本的にはカレンダーという概念がない。)が始まる前日で、夜のうちから恋人が育った標高800mにある街へ向かう予定だった。夜に待ち合わせをして、そのまま出かけるというのが、なんともワクワクさせるし、夜の高速道路を走るということも、僕の楽しみの一つなのであった。夜ご飯はどこのサービスエリアで食べようとか、温泉は何回入れるだろうとか、実家へのお土産は何がいいだろう。。。とか。出発の何日も前から、食事中や寝る前に話す事といえばそんな話題ばかりだったように思う。

 そういうワクワクした気持ちで電車に乗ると、決まって軽井沢に行ったことを思い出す。その日も仕事が終わった後に、待ち合わせ場所へ向かう予定になっていた。今回と異なるのは、さっさと仕事を切り上げて一番早い電車に乗ることができたということと、待ち合わせ場所が旧軽井沢の入り口に近いホテルの一室ということだった。数日前まで軽井沢には一足早い秋が来ていて、それなりの服を用意していたのだけれど、当日は残暑が振り返し、少し季節が戻ってしまうようだった。家から軽井沢までは高速道路を乗り継いで2時間もかからない。道も空いていたし、夜ということもあって待ち合わせをしている人のことを考えるには十分な時間があった。

ヘッドライトに照らし出される風景は淡いモノクロで、夜の高速道路はとても柔らかだった。そして、昼のそれを走るよりも速く、静かな水面を滑るように進んだ。おそらく別の用事で急いでいるであろう運転手も同じようなことを考えていたように思う。右側を追い越して行く横顔は皆穏やかに見えた。

高速道路を降りると峠は濃い霧に覆われていて、小さな水の粒は風になびき、街灯の明かりに乱反射していた。その無数の粒子は生き物のように舞い、行き先を滲ませるように纏わりついてきた。ボンネットの先すら見えない緊張感と2、3度しか会ったことのない女性と夜に、しかも軽井沢で待ち合わせをしているという状況はお互いを打ち消しあって、どこか変に落ち着いていた。

軽井沢の夜は早く、大抵のお店は早々と店終いをしている。目印としていたホテルの屋根は深い青緑色で、想像していたよりもずっと簡単に見つけることができた。部屋に入るとシャワーこそ浴びていなかったが、女性は薄手のボーダーと細めのデニムでくつろいでいた。大きなネイビーのトートバッグにはパンパンに荷物が入っていて、その部屋に入って初めて発した言葉は「一泊なのに?」と驚きと問いかけが混じっていた。

乾杯をして、思っていたより時間がかからなかった話、霧がすごかった話、明日の天気は思いのほか良いらしいという話なんかをした。

僕は夜ご飯を食べていなかったから、それらの話とは別の流れで「お腹減った。。。」とつぶやいた。そして、「そうだと思った。」といいながら、パンパンのトートバッグからアルミホイルに包まれた2つのオニギリをとりだすのだった。そこには屋根と同じくらい深い青緑色のマジックで「シャケ」と「ウメ」と書かれていた。「ホテルとシャンパン」そして、「オニギリと文字」の対比ががおかしくて二人で笑った。

霧は風に変わっていて、大抵の音と会話をかき消した。

ちようどそのあたりまで思い出したところで、僕は恋人の待つ家に到着した。

恋人は「おかえり。」と言ったあとに「夜になってから出かけるって軽井沢を思い出すよねぇ。」と続けた。どうやら僕と同じことを考えていたらしい。そして、恋人は2泊にしても多すぎる荷物を、軽井沢へ行った時と同じネイビーのトートバッグに詰め込んで出かけることにしたようだった。