ドラマチックな非日常の欠片。(2014.05.22)

第14期(2014年4月-5月)

20140522
カーテンの隙間から差し込んだ光が、所々色褪せた青緑色の絨毯に反射していた。その光は朝日と呼ぶには少し明るすぎていて、時間は午前の半分を少し過ぎてしまっているようだった。高速道路の集中工事というハプニングに巻き込まれ、予定よりもだいぶ遅く(日付が変わる前頃)にホテルに到着した僕らは、軽く温泉に入って冷えた体を温めた。そのホテルはよくあるビジネスホテルチェーンではあったけれども、大浴場には天然温泉が入っていることで、この辺りでは有名だった。

寒かったのか厚手の掛け布団にスッポリと包まって、スースーと寝息をたてている恋人を起こさないように、僕はこっそりベッドから抜け出した。泊まったホテルのすぐ前には湖があって、昨日の夜からその色を早く確かめたくて仕方がなかったのだ。部屋に着いてすぐに、窓を少し開けて湖のほうを覗いたりもしてみたが、月さえでていなかった夜は一面がのっぺりとした黒色で、湖面なのか空なのか区別することさえ難しかった。それに反して、朝日の当たっている湖面はとても鮮やかで、湖がそのまま空へと繋がっているのが印象的だった。色は文字通り濃い水色から空色へと滑らかに変化していて、時折強い風が吹き湖面にスッと小さな白波が立つと、そのあたりの青は水からできているのだと理解できた。

海のない県へやってきても、そこに把握し切れない量の「水」を求めてしまうのは、僕が釣り好きだからとか、海育ちだからという理由だけではない気がしている。もっと、ずっと奥の方にある何か。遺伝子やDNAのようなものに由来しているんではないかと思う。もし、単純に僕が海育ちだからそういう量の「水」を、一種の拠り所のようなものとしているなら、山育ちの恋人は何を拠り所として求めるのだろうか。あとで聞いてみることにしようと考えながら、今は湖を眺めたまま恋人が目を覚ますのをゆっくりと待っている。

数時間前に入れてもらったアイスペールの氷は、そのほとんどが解けずに残っていて、バーボンを飲み終えたグラスに氷とソーダ水を一緒に注いだ。少し弱くなった泡は、昨日よりも静かに弾けている。その音に気づいた恋人はむくりと起き上がり、そのソーダ水をスルスルと飲み干すと「温泉に入って来る!」と言って、いつも通りくるりとはねた寝癖をゆらしながら嬉々として大浴場へ向かっていった。

いつもと違う場所でみる、いつもと同じ風景。僕もタオルを一枚だけ持って後を追うことにした。

その日は恋人のご家族に会う日で、僕はいつもより念入りにヒゲを剃り、ワックスも普段より多めにつけた。そして持っている服の中で、どちらかといえば「品よく見えそうなもの」を選んだ。恋人は実家に帰るというのに緊張していて、瞬きの回数がいつもより多かったし、口角を下げて窓の外をぼんやり眺めたりと、メイクをし始めたあたりからソワソワと落ちつきのない様子だった。

実家のテーブルの上には僕の好きな「あんこ」(恋人は苦手で食べられない。)を使った和菓子と、恋人が好きな「イチゴ」が用意されていた。僕の好きなものを用意して、もてなそうとしてくれる気持ちと、それを食べられない恋人の好きなものもきちんと用意してあるあたりが恋人の母だなと思った。そして、恋人の姪っ子の自己紹介から始まって、終始和やかに会話は進んでいった。恋人はときおり僕が言ったことや、やっていることに対して「お父さんも同じことを言ってた。(やってた。)」という。車や温泉が好きなところや、お調子者なところ、左利きなのに右手をよく使うところも似ていたらしい。「生まれ変わってきたのかもね(笑)」なんて話をすると恋人は口角をグイッと上げて声を出さずに笑うのだった。それを見た姪っ子も目を細くして、同じように口角を上げて笑っていた。

暗くなる前に連れて行きたいところがあると恋人は僕を連れ出した。そこは滅多に人を連れていかないとびきりの場所なのだという。街を抜け、畑の中を抜け、森を抜けるとその場所はあった。

生まれたての濃い緑の芝生から、森を経て、美しい山脈へとつながる場所。

しばらくその風景を眺めたあとで「やっぱり、山はよいよなぁ。」と少し年寄り染みた口調で恋人はつぶやいた。「何それ?」と僕が聞くよりも早く、少し興奮した様子で山の魅力について語るのだ。そして、ちょうど良いタイミングで僕も「山もいいよね。」と続ける。恋人は大きく息を吸い込んで、短く吐きながら「うん」と頷いた。僕が朝方抱いた疑問の答えはここなんだと悟った。

ゆっくりと吹き抜ける風はぬるくもなく、かと言って冷たくもなくなっていた。
昨夜の乱暴なそれとは大きくちがっていて、予想を裏切る柔らかな風なのだった。