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2F/当番ノート

ドラマチックな日常のこれから。(2014.05.29)

当番ノート 第14期

last
何日か振りの休日。しばらく仕事が立て込んでいて、のんびりとした時間を過ごせていなかった。近所で遊んでいる子供達の声が、この薄暗い寝室まで届いているけれど、僕はときおりまどろみながら、ここ1年くらいに起こったことを反芻する。

夢とも覚醒とも言えない半透明な時間が、ゆっくりと意識を浮き沈みさせる。

恋人の実家を訪ねてから数ヶ月後。首都圏から少し離れた山間の街に仕事が決まり、生活の拠点をそちらに移すことにした。そもそも、僕は人の多いところが得意でなかったし、密度の高い都心での生活には辟易としていたから、手頃な距離に必要なものが揃っている小さな街というのは都合がよかった。それに、この街には鮮やかな服を売っている店も、評判の料理をだす店もなかったけれど、いつでもキレイな水や空気があって、(今の日本だと)こういう土地で暮らせるのは、とても贅沢なことなんじゃないかと思うのだ。

移住に関して言えば、国内というよりもむしろ海外を視野に入れていた。気温の割りに、湿度が低い国。一年中短パンとビーチサンダルでふらふらできて、足の裏で“もたつく”砂さえも気にならない、そんな国に移住するのが僕の人生の目標だった。今回の話が現実味を帯びる前から、恋人と移住について話をすることが何度かあったのだが、恋人は実現するはずもないと思っていたのか、その度に「私はどこでもついて行くよー。」とわりとノリの良い返事をしてくれるのだった。

山を望む街で生活をしたことがなかった僕も、山を望む街で育った恋人も、山とともに生きる生活をとても楽しみにしていた。初めは慣れない仕事と新しい土地で気を揉むことも多かったが、総じて居心地は良かった。空気はいつも澄んでいて、ノリの効いたシャツのようにパリッとしていたし、地元で採れる食材も忘れそうになっていたそれ本来の持つ味を思い出させてくれた。そして、何よりも満員電車も渋滞も通勤時間もない(実際には少しある。)ことが本当に素晴らしいと思うのだった。仕事は明るいうちに終わることがほとんどで、そのまま車に積みっぱなしにしてある釣り竿を振って帰り、釣れた魚が晩ご飯の食卓にあがることもしばしばあった。

新しい家は、このあたりに建っている一戸建としては小ぶりであったけれども、少し高い丘の上にあって、どの部屋からも連なる山々とそれを取り囲む森を望むことができた。その中でも脱衣所にある丸い窓から見える湖と天気が良い時だけ現れる名前の知らない山との構図が一番気に入っていた。そして、ちょっと広くなったベッドで手足を伸ばして眠ることができるようになったことも、夜になると裏庭の木にフクロウがやって来るのも僕にとってはとても好ましいことだった。

南にひらけたリビングは日当たりの良いフローリングで、天井はお気に入りの照明を取り付けるのに十分な高さがあった。あとは小さな本棚とダイニングテーブルといくつか背が高い観葉植物を置いてシンプルに仕上げた。新しいソファも気に入っていたが、ずっと使っていた毛足の短いビロード製のソファを引越しする時に処分してしまったことを、今では少し後悔している。そのリビングからはコーヒーを淹れる香りとドタドタと走り回る音がしていて、ときおり笑ったり、名前を呼ぶ恋人の声が響いていた。

恋人は妻になり、母親になっていた。

僕たちにはあいかわらず週末という概念はなかったけれども、子どもが生まれることによって、その境界線はさらにあやふやになっていた。愛すべき日常に加え、めまぐるしく成長して行く子との生活はドラマチックで退屈することなどなかった。そして、生活に必要な最低限の用品と仕立ての良いシャツ、程よく色落ちしたデニムとお気に入りのスニーカーが2足くらいあるこの暮らしにとても満足していたし、これからもこれ以上は求めないのだと思う。

あえて欲しいものをあげるとすれば、クリーム色のクラシックカーとそれを入れる車庫。そこに釣り道具をいじれる小屋なんかがあるといいよなぁと思っていたところで、寝室のドアがゆっくりと開き、さっきまで遠くで響いていた足音が近づいてきた。すっかり目は冷めていたのだが、スースーと寝息をたてるふりをした。足音の主はリビングにいる妻の方を振り返りニコリと笑うと、今度は柔らかい2本の指で僕のまぶたをこじ開けて「(お)はよー。」と大きな声で僕を起こすだった。笑いを堪えていた妻は吹き出し、途中だった朝ごはんをふたたび作り始めた。

我が子を抱えて、リビングから外をのぞくと空は思いのほか青かった。冬の厳しさも和らぎ、山頂に積もった雪もすっかり溶け、森は淡い新緑から力強い緑へと変化している。

「さぁ、今日はこれからどこへ行こうか?」
僕は二人へ問いかける。

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2ヶ月間拙い文章を読んでいただいていた皆様本当にありがとうございました : )
活字を読むことが苦手なのに2ヶ月間もコラムなんて書けるか?と最初は不安でしたが、後半はわりと楽しんで書くことができたように思います。

アパートメントを紹介してくださったタカヒロさん、恋人ことリナさん、コメントを残してくれた皆様、この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました☆

マツモト タケシ

マツモト タケシ

1年のうち1ヶ月は旅人。
そして、もう1ヶ月は釣人。
残りの大半はスーツケースの
販売職人。

常に移動を繰り返し、
同じやり方を好まない
ロマ気質を持ち、
古いものと新しいものの
ほどよいバランス求めている。

いずれは海外か、
人の少ない土地に移住を目論む
37歳。

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