田に植える。

第15期(2014年6月-7月)

58田植え機とripa
五月、しっかり育った苗とともに、いよいよ田植えのとき。

うちでは、まず、田植え機という機械で植えていきます。
そのあと、人が田んぼに入り、植えたばかりの苗の間を歩きながら、手で植えていく。

苗が抜けてる所を補ったり、整えたり。
本数の少ないところに足したり、激しい雨風で流れた苗を拾ったり。
田んぼの中を、ひたすら歩きながら、じっと苗をみつめながら、手で植えていく。
それが、刺し苗。

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七歳(小2)の息子は、素足で、田んぼに入る。
ものすごーく 気持ちいいらしい。 

独特の、ひゃっこい、あたたかい、不思議な泥の感触。
ずぶずぶと、底がないような 足ざわりののち、底らしき層に触れる。

普段、硬いアスファルトの上で、立って、歩いて生活している人たちには
それだけでもう、新感触かも。

次の一歩を踏み出すとき、足に泥が吸い付いてきて、動けない。
足が、なかなか抜けないほどの、泥の粘り気。
慣れない人は、ジタバタしてしまい、予想以上に負荷が、かかる。
ジンセイと同じですね。

田んぼの端から端まで、泥水の中を歩くだけで、笑ってしまうほど足をとられ、
2往復目くらいで、腰が、ずんと重くなる。

そんな、作業。

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素手で 刺し苗をすると、田んぼの温度や、泥の状態がよーくわかる。

苗が、土に植えられた瞬間、根っこがぐんと張る。
じぶんの生きる場所にたどりついて、ハッと目覚めるみたいに。

朝、植えた苗は、ぐいぐい根を張り、驚くことに、昼には根付く。
午後2時頃から吹き荒れる、つくばおろしという強風にも流されない。
強い、とても強い、生命力。

人が、歩く。 苗を見つめる。 また、歩く。
そのひと手間をかけるからこそ、土壌の底にたまっている養分が、掻き混ぜられる。
泥に酸素が、入る。
昨年の藁をすきこんで、肥しにする中で発生する、土中のガスがぬける。

いい循環の結果、微生物たちも、目に見えて元気になる。
人が手間をかけて作業しただけ、田んぼは、よくなってくれる。
これも、ジンセイと同じかも。

田植え間近の頃、まだ乾いた土が出ている田んぼに、
水を流し込んで水田にする作業を「田水張る」(タミズハル)という。
深く土を耕す田起(タオ)こしをした後に、水を張り、
さらに苗を育てやすいように、代掻き(シロカキ)という、水の底の土をかき混ぜる作業をする。
これでようやく、田植えの用意の整った代田(シロタ)になる。

田んぼに水が入りだすと、旦那は、隙あらば、トラクターに乗ってる。
水の具合に振り回されながら、田んぼの代掻き。
綺麗に均し、雑草を埋める、代掻きの出来が、そのシーズン全体を左右するから、任務重大。
むずかしくてたのしくて仕方ないらしく、あきれるほど、ずっと作業している。

同時期に、籾をまき、苗を育てる。
苗も、田も、どちらも、ちょうど、いいあんばいになるように。
そうして、やっと 迎える、田植えの日。

春には、手に苗を持ち、じぶんの手で、食べるものを植える。
秋には、手に鎌を持ち、じぶんの手で、食べるものを刈り取る。

どちらも、いのちをいただくこと。つないでいくこと。

農耕民族は、そうやって、生きてきた。
これからも、繰り返し、淡々と。 やっていけるのだろうか。 

農業って、ほんとうにむずかしくて、たのしい。
政治家も、学者も、公務員も、OLさんも、こどもも、おとなも、
みんな、農耕の時間をもてたらいいのに。
理屈ではやっていけない、厳しい現実を知ることができるから。