大都会の喜劇

第26期(2016年4月-5月)

人が溢れているからだろうか、東京では喜劇に出くわすことが多い。

新宿、渋谷、池袋、上野、北千住、高田馬場、中野、新橋、高円寺。

人工と自然、ビルと横丁、先端と古典、除菌と汚物、宝石と石ころ、人間と鼠。

いろんなものが隣り合わせになった、ごった煮の街。

 

こうした街で暮らしていると、「いったいあれはなんだったのだろう」と思う光景に出くわすことがある。

唖然とするよりも前に、笑わずにはいられないような光景。

それは都市が持つ匿名性からくるものであり、人々の生み出す波動によるものであり、アルコールによるものであったり。

 

東京夕暮れ

大学2年の頃、大学の裏門に奇妙なおばちゃんが出没していたことがあった。

夕暮れ時に裏門を通ってキャンパスを出ると、通りかかる男子学生を必死に近くのホテル街へ誘いこむおばちゃん。

おばちゃんは、その門から少々歩いたところにある私のバイト先のレンタルビデオ店によく借りに来ていた。

大学の裏門で待機している時とは異なり、暮らしの顔をしたおばちゃんがそこにはいた。

大都会では二重の仮面を被った人たちによる、思わぬ二面性を垣間見れたりする。

渋谷

大都会には路上演奏者が多いが、足早に歩いてゆく都会の人たちに届けることはそう簡単ではない。

他の場所で目にすれば心揺すぶられるだろう希少な表現も、都会で遭遇するとなぜかありきたりな光景の一部に思えてくる。

 

それでも、かつて住んでいた駅の近くで路上表現者に心奪われることがあった。

その人は雨の日にだけ現れ、屋根もない吹きさらしの場所で歌っていた。

誰もいないときにやるからこそ意味があると言い、大雨でずぶ濡れになりながら熱唱し続けていた。

思わずブルッと鳥肌が立ち、立ち竦んだ。

 

音楽で人と人の邂逅を目の当たりにすることもある。

渋谷駅前の路上でときどき交わされる、ヒップホップのフリースタイル。

ある夜、中学生くらいの男の子と通りがかりのバックパックを抱えた欧米人がフリースタイルをしていた。

お互い相手が何と発しているか分かっていないはずなのに成立している。

かろうじて成立しているどころか、お互いの言葉を分かり合っているような壮絶な応酬。

出自や年月などは関係なく、根っこで同じ波動を感じているからこそ作り出される空間を見て、微笑ましい気分になった。

飲み屋街

そんな大都会で喜劇を最も多く生み出しているのは酔った人たちだ。

横丁、公園、駅前のロータリー、その他様々な場所で、ありえない光景を目にする。

 

その中でも、終電間際のターミナル駅は宝庫。

世界一の乗降客数を誇る新宿駅などはもはや感激ものだ。

人の目など気にしていられない。誰も気にしちゃいない。ただ、みなが時間と闘っている。

押し合いへし合いの肉弾戦、猛ダッシュ、叫び声、泣き咽ぶ声、嗚咽、我慢、硬直、除菌、水分補給。

おめかしした綺麗な服には吐物。男子便所には手洗い場に小便、小便器に大便。

混沌としたとてつもないエネルギーが渦巻いている。

 

そこには不快な光景も多くあるが、それでもお互いの失敗を許し合い、笑いへ昇華する。

かつての自分の失敗を思い出し、他人の失敗を笑いに!

それが都市の生きやすさを支えている。都市の魅力。

 

アマゾンの奥地に住む部族ピダハンは、獲物を逃しても、家が吹き飛ばされてもただただ笑うのだという。

そんなピダハンに負けないほどの底抜けの笑いが、大都会を寛容性に溢れた魅力的な都市にしている。