南千住

第26期(2016年4月-5月)

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南千住駅に初めて降りたったのは7年前か。

東京にアパートを借りていながら、金をかけずに旅の気分を味わいたいと安宿を探して東京を歩き回る中で辿り着いた。そして、その後も足繁く通うようになった。数回訪れただけでは味わえない、多くの顔を持った街だったから魅力を感じた。

街の雰囲気は駅を境目としてはっきりと異なる。駅の北東側は隅田川沿いに高層マンションが建ち並ぶ再開発地区。保育園や老人ホームを併設した高層マンションが何棟も建設されると同時に、小学校も新たに開校され比較的若い人たちが多く暮らしている。またファミリー層に最適なショッピングモールも作られ、駅の北側だけで生活が完結する空間となっている。一方、南側は大通り沿いにビジネスホテルが立ち並び、一本奥の道へ入ると安宿や生活保護者向けのアパートが並んでいる。遊郭である吉原に隣接し、浅草まで徒歩15分ほどであるこの地域は、山谷地域と呼ばれてきた。

江戸時代、山谷地域は日光街道と奥州街道の江戸への入り口となる宿場街として、木賃宿が建ち並び行商人や旅芸人などが生活していた。その後、関東大震災により木賃宿や長屋の多くが焼失したが、復興後5000人もの労働者が暮らす街となった。太平洋戦争後はこの地に仮の宿泊施設いわゆるテント村が作られ、多くの被災者が押し寄せると同時に簡易宿所には6000人が宿泊していた。その後の高度経済成長期、そして東京オリンピック開催の中で、土木・建築作業や港湾荷役作業の労働需要が高まり、この地域は全国有数の寄せ場となった。その最盛期には15000人が滞在していた。しかし、バブル崩壊による労働需要の減少や、寄せ場を通さない労働者調達の普及、そして建設現場における機械化によって寄せ場での就労環境は厳しく、日雇い労働者の滞在は減少している。また、若年層の日雇い労働者の流入も大幅に減り、住人の高齢化が極度に進む地域となっている。こうした地域に新たな変化が起こったのは、2002年日韓W杯の頃だ。安い宿を求めて外国人旅行客が滞在するようになった。そして外国人旅行者の間でよく読まれるガイドブックにもこの地域の宿泊施設が取り上げられ、さらに多くの外国人バックパッカー達がこの街を訪れるようになった。この変化に伴い、木造の宿泊施設や老朽化の宿の建て直しが多く行われ、シャワーや洋室、ネット環境が完備されたゲストハウスが幾つも誕生した。

南千住概観 copy

山谷地域を歩いていると多くの発見がある。コインランドリーや月極のコインロッカー、銭湯がやたらと多い。自動販売機にはアルコール類が多い。そしてコンビニではアルコール度数の高い缶チューハイがやたらと売っている。建設現場で働く人たちのための作業衣・靴・道具を売る店がいくつも並んでいる。また、土日には簡易的な賭け屋が誕生することもある。徒歩30分ほどで1周できるような地域だが、最も目立つのは大通り沿いにある交番かもしれない。この交番=日本堤交番は通称マンモス交番と呼ばれ、もはや交番ではなく警察署といえるほど立派な頑丈な建物だ。こうした交番ができたのは60年代に数千人規模の暴動が何度かこの地で起こったからであろう。そしてこの交番の近くには大林という、長くこの地で営まれている居酒屋がある。騒ぐことはおろか話すことも憚れるような緊張感のある酒場で、お客さんは黙って寡黙に飲む人ばかりであった。独特の緊張感のせいかなかなか酔えなかったが、他では味わえない空気がとても好きだ。またそのすぐ近くには、カフェバッハというこの地で50年近く営業されている名喫茶がある。このバッハでコーヒーを飲むために南千住まで来る人も多くいるようだ。他にもいくつも地元の人たちに愛されるお店が多くある。しかし、かつて人々の娯楽の場であった映画館や幾つかのパチンコ屋はもう無くなっている。さらに、この地にあった小学校は2001年に閉校されている。そのためだろうか、駅の反対側では山ほど見かけた登下校の子ども達もこちら側ではあまり目にすることはなかった。

高齢者と若い外国人が同じ空間にいるという希有な街。しかし、彼らが交流している様子はあまり見たことがない。それは住人と旅行者たちの生活時間が異なるからなのかもしれない。住民たちの朝は早く、朝6時に宿を出で通りを歩くと、もう外で住人たちが集まっていたりする。ときには朝から宴会が始まり、手にはワンカップを持ち、ちょっぴり赤ら顔のおっちゃんたちが歩道や商店街で車座になっていたりする。それに対し、外国人旅行客たちの朝は遅めだ。六本木や上野からのアクセスもよいからだろうか、遅くまで夜の東京を楽しみ、その分翌朝はゆっくりと始動する人たちが多いようだ。そのため、住人たちと外国人たちの接点はあまりないようだ。今後、両者はどう交わりあっていくのか楽しみだ。

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つい先日、新宿駅東口の改札近くにある立ち飲み屋で、山谷地域をテーマにした写真が展示されていた。学生時代、卒業論文を書くため何度もこの地域を訪れていたはずなのに、その当時はまったく見てこなかったような一面が写真には切り出されていた。歴史ある風景が失われる前にまだまだ歩き回りたい地域だと改めて思った。そして今回、1年ぶりに山谷地域を訪れたが、外国人向けのゲストハウスは更に増えていた。変化は想像以上に早い。

 

4年後、東京でオリンピックが開かれる。52年前に開催された時とはこの街の様相もまるで違う。4年後には、より多くの外国人旅行者たちが東京を訪れ、この街へ多くの若い旅行者が宿泊するだろう。この街に住む人たちだけでなく、この街を支えてきたお店・宿の主人たちも高齢化している中、この地域が今後どのように変貌を遂げるのか少し気掛かりであり、とても楽しみだ。急ではなく、せめて”徐々に”変わってもらいたいというのが本音だ。