死者から生まれる民俗芸能 ー過疎集落での民俗芸能の継承事業から①

第40期(2018年8月-9月)

滋賀県高島市の山深い土地に朽木古屋という集落があります。いまでこそ年間通してここに住まう世帯は片手で数えられるほどの過疎集落ですが、この古屋には800年以上にわたり継がれるとされる六斎念仏踊りという芸能が伝承されています。

六斎念仏といえば、この朽木古屋をふくむ、奈良/京都から若狭に掛けての鯖街道沿いをはじめとして、大阪、和歌山、遠くは高知、長崎にもその分布がみられ、その土地の生業や歴史からそれぞれに特色をもった六斎がおこなわれてきました。しかし、現代まで継がれる六斎は少なく、特に過疎地域においては前回も触れたとおり、明治の開国、昭和の敗戦に端を発する日本の社会構造の変化からその土地での生業を形成できず、存続不能となる芸能が後を絶ちません。

この朽木古屋でも新たな継ぎ手がおらず、焼け跡世代の継承者が次々と亡くなっていく中でその六斎念仏が途絶えて4年目に高島市より継承についてお声掛けをいただきました。新緑の鯖街道を分け入り古屋ではじめて対面した古老たちは「先祖から代々受け継ぎ、何十年と舞い続けてきたこの六斎を、アーティストだかなんだか知らない外の人間なんぞにやれるか」という疑心に満ちていたように思えます。あるいは、わたしが彼らに対して抱いていた畏れにそれは由来していたのかもしれません。

それから3年。1年目には「古屋の六斎念仏の復活」を掲げ、音楽家やダンサー、美術家などアーティストやアートマネージャーの方たちからご意見をいただきながら存命の継承者から六斎を習い、なんとか実施に漕ぎ着けました。2年目には古屋にゆかりを持つ、先の古老たちからは孫世代に当たる新たな継承者が現れ。3年目の今夏は老若の継承者とアーティストたちが渾然一体となりながら、六斎を舞っています。やり始めればいまなお人を惹きつける芸能の求心力に改めて感心しつつ、わたしのこの芸能における役割も「六斎を習う/太鼓でもって舞う/やる」というフェーズから、「六斎を教える/舞うための念仏を唱える/コーディネートする」という位相に変化してきました。

これまでのようには芸能を存続できない現在、なにを変えてなにを守ることで「民俗芸能」とするのか? 「迫る死期」という物理的な有限性と(昇天とも近いような)「継承される」という精神的な無限性。その土地に住まずに民俗芸能をやる際、何をもって「継承」とするのか、など。論題を挙げればキリがないのですが、ひとまずここでは「現代日本における芸術と芸能」について思うところを綴ります。

ここまでに述べてきた事由から、多くの民俗芸能がその担い手不足に頭を抱えているわけですが、わたしを含めアーティストは民俗芸能の在り方に興味を抱くことが多いようです。ただ、あまりに大勢のアーティストを一度に連れてきては、古屋という土地の土着性や何のための芸能かの根本を見失ってしまいます。一方で芸術家の技術は民俗芸能の習得に短い期間で対応できます。それは高齢の継承者が多くを占める現状において、価値ある技術といえるでしょう。また、口承などの録音や編集、映像撮影といった、Webを日々閲覧するわたしたちには茶飯と感じられる作業も、ご高齢の方たちにとってはまた価値のあることとなります。

また、芸術家の視点から捉えても、近代日本における美術教育は西洋由来の価値観に重きが置かれているため、古来より日本各地で継がれてきた民俗芸能からその価値を再思考することができます。言い換えれば、西洋における芸術思想の上に成った日本の芸術は、そのルーツを自身に持たない根無し草のまま、習いとしての成長を遂げてきたともいえるでしょう。

民俗芸能から先達を探り、それを基に芸術を改めて思考することはこの明治以来150年の埋め直しともなり得ます。一方でまた「生きるアーカイブ」である民俗芸能は何百年と重ねられてきても、継ぐ人間がいなければいとも簡単に絶えます。そうした現状を鑑みるに芸術家と民俗芸能を掛け合わせることは、双方に利益があると感じられます。

ただ注意をしなければならないのは、芸術と芸能の根本的な違いをあらかじめ認識しておくことです。それを安易に混線させてしまえば危険な道を辿り得る。そのあたりについては次回の日曜日に。14日に予定される今夏の奉納の模様をお伝えしながらお話しできればと思います。