死者から生まれる民俗芸能 ー踊り念仏から思考する芸能と芸術

第40期(2018年8月-9月)

あなたは「踊り念仏」と聞いて、なにを思い浮かべるでしょう? 踊り・念仏の結びつきを即座に語れる方は少ないかもしれません。でも、「口からなにか出しているお坊さんの木像を教科書で見たことない?」とでも加えると、「ああ、あれか」と記憶に結ぶ方は意外と多くいます。それは空也という平安中期のお坊さんで、前回ご紹介した六斎念仏をはじめとした踊り念仏の創始者とされています。口から出ているのは6体の阿弥陀仏で、空也が念仏を唱える様子を表象しています。

さらに空也から時代はくだり、鎌倉時代に一遍というお坊さんが現れます。彼は伊予国(現在の愛媛)の武家の生まれですが、1221年の承久の乱で京方についた一族は凋落の憂き目にあい、一遍は母の死を転機に10歳で出家します。奇しくもその承久の乱で長野・佐久へ配流された叔父の墓を訪れた際に一遍は踊り念仏をはじめるのですが、常識とされたことが明日には変わる戦乱の世に「南無阿弥陀仏と唱えれば弥陀と一体となり浄土へいける」と現世での救いを示し、古代信仰にみられた死者の葬礼と生への流転の意識を再び民衆に取り戻してみせたのが、一遍を含む中世仏教であったように思えます。

もちろん、踊り念仏は宗教儀式であり、芸術とはその成立条件が異なるのですが、その時代背景や踊り念仏が目指した世界観は、この2018年という時代でも参照に価する点が多くあるようにわたしには思えるのです。

たとえば、それまで貴族の私物と化していた仏教を民衆化し、その救いを下人非人含む大衆にも広げたこと。一遍は諸国を遊行しながら踊り念仏をし、賦算といわれる念仏札を相手に拠らず無条件に配り続けたのですが、それを芸術にあてはめるとどうなるのでしょう? 芸術は決して安価とは言えないチケット代を払える人々のために存在し、その余裕のない人々には不要なのでしょうか? また、踊り念仏における寺院から市中へという流れも、「書を捨てよ、町へ出よう」と告げた寺山修司をはじめとする現代芸術の潮流とも繋がると思えます。実際わたしもさまざまな土地を遊行しながら劇場外で作品をつくり続けているわけですし。

また、戦後の高度経済成長期を経て日本は物的豊かさを手にしました。貧しくはあっても、それは日本国内での相対的な貧しさであって、過去や他国と比べても物的には豊かです。それでも埋まり切らないわたしたちの豊かさへの渇望とはなんでしょう? 物的豊かさと引き換えに得たのは「孤独」かもしれません。踊り念仏が流行した時代へと還れば、戦乱の世にあって、死は生からの解放であったとも想像できます。一遍が出家した理由しかり。長年拠り所としてきた一族という共同体が崩壊し、また死しても誰にも供養されず、ひとり死の世界へと踏み込む孤独。そんな時代に確立された踊り念仏は、現代における孤独にも適応可能なのではないでしょうか。

そして、さきほど触れた賦算。この念仏札は配る側が相手を選ばず、出会うすべての人に渡していたようです。例えばこの賦算を芸術としてわたしが制作した『踊り念仏』での異物化としたら。その異物化を通しての、他者との関係性に価値があると思えます。自身にとってのその街の異物を為すことによって、自身の願いを他者と共有すること。だから誰かの異物を相対評価するような度胸試しではないということです。異物化に他者からの評価はないのです。

芸術に立ち位置を持つ『踊り念仏』を説明もなしに、色々と述べてしまいました。しかし、これは前回に述べた「芸能と芸術の違い」ともつながります。では、宗教/芸能である「踊り念仏」から引用した、芸術としての『踊り念仏』はどのような作品なのか? そして宗教/芸能とはどのように異なるのか? 改めて次回にお話ししたいと思います。