安吾が好きって言いたくない

第45期

自分の読書遍歴を言ってくださいと言われたら、答えはノーだ。ノーセンキューです。
読書は、その人の考え方を形成する材料だ。どんなものを好んで食べてきたかで、その人を形作るものの一部が垣間見える。許されるなら「装丁がすごく素敵で買ってみたら中身も面白かったんですよね」って受けごたえで、見栄えのいい且つちょっと中身は難しめの本を並べて見せて、世の中を渡り切りたいと心の底から思っている。
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さて、30半ば~_40代の方へ質問です。(偏っていてごめんなさい)
「村上作品が好き」ここが読書の分岐点ではないだろうかと思う。
ここでいう分岐は、村上春樹か村上龍である。海辺でパスタを作りワインを舐めてヤレヤレと溜息する世界と、男と女とドラッグの向こうで戦争が始まる世界。補色の村上。

私が選んだ村上は龍の方だった。
「限りなく透明に近いブルー」「海の向こうで戦争が始まる」「コインロッカーベイビーズ」は嗚咽しながら食い入るようにして読んだ。(20代半ばで読み返した時、ぴくりとも心が動かなかったのは何でだろう)原田宗典や山田詠美を挟みながら休憩しつつ、花村萬月、浅田次郎とピカレスク沼に浸かり、20代は莫言を片っ端から読んで赤色に染まる隣国に想いを馳せた。

二極化された村上のイメージ

二極化された村上のイメージ

私の読書遍歴を振り返ると、10代頭に「アンネの日記」「シンドラーのリスト」「アルジャーノンに花束を」といったノンフィクションを好んで読み、親からえらい心配されていた。家にあった古い文学全集の中から夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、梶井基次郎、坂口安吾あたりを読み漁り、その後安部公房、大江健三郎、開高健と現代に手を広げる。美術部の先輩に教えて貰った「悪童日記」は初めて読む海外小説であり、電流バットで殴られたかってくらい衝撃を受けた。ざっと振り返っただけで暗い、ものすごく暗い。たまさか事件に巻き込まれようものなら、リポーターの突っ込みが入りそうなラインナップである。

読書の遍歴を人に話すというのは、バイキングの皿の盛り方で育ちが分かるような恐ろしさがある。個々の作品はどれも一級品揃いであることは間違いない。しかし並べた時に、選び手の姿が浮かび上がるのだ。私の読書遍歴は、土埃と血汗の匂いが濃い。夜は短くないし、ガーリックオイルの香りは微塵もしない。

だからこそ読書の話はデリケートなのである。
本に限らなくとも、その人の趣向は何%かその人の性格の一部として捉えられがちであると思う。またしてもこういう時、自分のしゃらくささが顔を出す。本を定規にして人との距離を測るのである。
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友人S氏の本棚は、私の扉付き本棚と違いオープンスタイルである。
そこには村上春樹、森見登美彦、西加奈子などが並んでいる。健全とユーモアと人間愛のバランスの良い美しい盛り方。私が行くことのできなかった陽の差す向こう岸。うちの息子のお嫁さんにはこういう選書をする人がいいわねえお父さん。私がガチで素の好きな本を並べているところを見せられる人は、今世はもちろん来世でも仲良くしたい。
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坂口安吾に限っては、昔友人に安吾が好きだと言ったら「堕落上等みたいなお前の性格はそこからか」と言われた。好きなものが自己人格と直結されることがあるのだと知って以来好きだと公言しづらくなってしまった。しかも私が好きなのは「夜長姫と耳男」であって「堕落論」ではなかったが、より暗く推しづらい内容であったため、会話はそこで終わってしまった。私が堕落から程遠い人間であれば、あの時自信を持って推せたのだろうけど。