新アップル・パイの冒険 1

長期滞在者

メリーゴーランド京都でやった、夏の個展が無事に終わって、次を描き始めたいのに空回りが続いていた。ただ疲れていて、励まされても誉められても、自分の中の部屋がどんどん狭くなる感じを何に喩えればいいのでしょう。大袈裟だが、これっぽっちも余裕のない自分があるだけだった。
幼年時代2

わたしは、ちょうど逃げ出したリンゴのように母から逃げ出して、別の穴にストンと落ちる。アリスのウサギ穴に見立てたいところだが、母は、わたしに決して本質に相当することを言わなかったし、語る言葉も持っていなかった。困ったように決まり切ったタテマエの言葉を並べる。

こんなことがあった。はじめて、東京のブックギャラリーで個展をさせていただいたとき、あれは震災前だった。今から四年前、展示よりキョウレツだったのは、母へ案内状を送ってみたら、妹から花を贈りたいと相談されたからと掛かってきた電話事件だった。お金は自分が出すから、現地の花屋で、それを手配してくれないかと頼まれる。その場で「わたしの気が狂っていると思われるからいい加減にして」と怒って断った。甘い声色で、「でも、◎◇ちゃんの気持ちを分かってあげてね」とさも残念そう言ってて、この人は~と思う。妹も両親も上京予定がないのに、その花は、誰が見るのだろう。わたしが手配しなければいけない時点でわたしのための花でもなく。

母は、大事なときに、守りになるつもりでむしろ奇天烈な困惑を降りかけてくれる。浅はかである。わたしは、モヤモヤする気持ちを押し殺して準備を進め、当日思いがけず友人達からお花をもらってやっと人間らしい気持ちを噛みしめた。後日、親には「応援して下さりありがとうございました」という手紙を書いた。あれが応援などではないのは分かっていたけれど、手紙は、わたしにとってのピリオドだ。

親は尊敬したいのだが、母は、わたしにいつも屈託を与える。毒林檎よろしく喉につかえるのだ。吐き出して点検する作業をしなくてならない。

以前いっしょにフリーペーパーを作った友人に話したことがあるのだけれど、母の居るほの暗い世界と、母の居ない明るい世界と二種類見える。その二つはあまり混ざることがない。

子どもだった頃、父と母が大喧嘩して、母は自転車で家出をした。当時、通勤用に車の免許を取ったばかりなのに、家出には自転車を使ったので覚えている。母が怒ったのは、父から「浅はかなおばさん」と言われたからだ。父は高校の教師をしていて、問題を起こした生徒の父兄が持ってきたものを受け取ったのがどうとかで、話が拗れた。母が切れた瞬間は、いくらぼんやりなわたしでも、ハッとするぐらい空気を凍った。その時は、まだ存在しなかったけれど、たぶん母もレリゴー(ディズニー作品の)だったろう。車で家出しないで、自転車で出て行ったのは、ガソリン代を倹約するためだったと思う。そんな父は、いつも本を買い過ぎて家計を圧迫するのに、何とか堂(地元の本屋さん)の柱は、お父さんが何本も立てたという冗談を楽しそうに語っていた。道楽者が、浅はかなおばさんに文句を言って、おばさんには車で家出する自由がない。というわけで、わたしは大抵母の味方をしてきたのに行き詰まり、とっくにはち切れそうな屈託に押し潰されかけている。

母はわたしの味方をしてない。ここはエコーをかけたいところ。母は、わたしの味方ではなく、彼女なりに何らかの空気を読もうとしていた。それは、社会性という名前が付くものとも違い、たぶん道楽者(父)の助けを借りないという怒りだった。そして、仲の良くない家族が、中でどういうコミュニケーションを取っていたかと言えば、正義の風が吹き荒れていた。正義の風は、相手を罵るとき主に使われ、ルールとは違う。大げんかしないためのルールではなく、圧倒的有利な何かを示そうとしていたのであり、そもそも空気が良くならない。そして、義務を果たしていない、態度が悪い、父がどんなに立派(我慢をしている)であるかが語られる。どこかの極端で貧乏な社会主義国家のような有様で、「父を好きであるかどうか」のほうが、何より重要案件だった。

浅はかなおばさんが、ときどき家の中を明るくしたり、道楽者が居座っているのは秘密なのだ。

たった一人の母だと思うと非常に重たいので、これからは、母を複数形で数えることにしよう。マザーズです。どこかの証券取引所のようだが、彼女を肯定するために、複数形の方が絶対心強い。多少のうっかりがあろうとも母になる人たちが居なくなると、人類も居なくなって、地球がとても淋しくなりますから。母の賞味期限は切れているのだが、母の作った穴に落ちたままなのが何とも口惜しい。母だって、むかしは一人の娘さんだった時期があるわけで、一人の娘さんのこととして捉えると重量はさらに軽くなる。その娘さんは、わたしの中にもいるのに気付いたのは、つい先日のことです。

だから、わたしが浅はかなおばさんでも問題ないよねと、こころの底から思いました。それが、夏から秋にかけての収穫です。わたしの狭すぎる部屋は掃除が必要だったのかもしれません。おかあさん、ありがとう、元気で居てくれることに感謝している。

魔女とリンゴ4