谷底本箱煙猫―番ねずみのヤカちゃん

長期滞在者

___もしも ふわふわと 毛のはえた 大きな どうぶつに であったら すぐに ちかづいては いけないよ/よくよく しらべて みるんだよ もしも そのどうぶつに ふとい前足があって そのさきに するどいつめが はえていたら/それから そいつに ぎらぎらひかる ふたつの目玉がついていて おまえをみつけて とびかかって こようとしたら/それが ねこと いうものよ ねこに であったら にげるがかちよ さもないと 頭から くわれてしまうよ(『番ねずみのヤカちゃん』よりお母さんが子ネズミに歌った猫の歌)___

 桜並木を歩こうと、少しだけ遠回りした谷底までの帰り道、強い風で折れたであろうソメイヨシノの枝が落ちていて、目に入った次の瞬間には私は枝をぶら下げていた。50センチくらいはある立派な枝には花房がなんと7つもついていて、追い抜いた女の子の「うわあ、いいなあ。」と言っている声が背中から聞こえた。「いいでしょ、でもあげないよ。」と心の中で返事を返し、「枝は折っていません、これは拾いものです。」と言い訳染みたフレーズを呪文のように唱え、すまし顔の急ぎ足、追われるように部屋へと滑り込んだら、玄関でお迎えの煙猫が目の色を変えた。ニャウ?ニャアアアアアアアアアア!ああ、そうだった、谷底の部屋に植物はご法度だった。私は煙猫に言う。ほんとにお前は花が好きねえ、でも後生だから爪をたてないでいただけますか、桜はね、それでなくてもすぐ散ってしまうのよ。それから、興奮して喉を鳴らしその花ちょうだいと鳴きつく煙猫をあしらいながら部屋の中で一人、花見をした。結局、花ぼんぼりの幾何かは煙猫の手にかかり、はらはらと花びらは舞い落ちて、煙猫はそれを旨そうにむしゃらむしゃらと食べている。花より団子という諺があるが、彼にとっては花すら団子、なのである。

 活けた花を猫が食べてしまうというのは猫飼いにとってはよくある話で、それは一説には毛玉を吐き出すためなどと言われているのですが、“昔どこかにねずみが怖くて捕まえることのできない猫がいて、お腹が空いて仕方なく、花を食べることにした”その記憶が受け継がれていると考えると、愉快な愉快な物語の始まりです。
ねずみに脅かされた猫が出てくるのが『番ねずみのヤカちゃん』というお話です。主人公である子ねずみのヤカちゃんはとても大きな声(どのくらい大きいかといえば家をも震わせるくらい)の持ち主です。生まれて初めて猫を見たヤカちゃんはその大きな声で叫びます。「ねこだねこだねこだねこだ!」猫と鼠ですから、ヤカちゃんが大ピンチかと思いきや、かわいそうなのは猫のほう。これまで一度もねずみに大きな声を立てられたことのない猫は度肝を抜かれて飛び上がりそのままあおむけに落ちて腰骨をいやというほど打ったあげく、椅子の下に逃げ込み耳を押さえてブルブル震えるのです。こんな経験をしたらきっと鼠に近づきたくもなるだろうよと、『番ねずみのヤカちゃん』を思い出しながら、桜で遊び花を食べ満足気に毛繕いをしている煙猫を眺めていたのでした。
 さて、お話は続きます。この後やかちゃんは、大きな声により「番ねずみ」と呼ばれる大活躍をします。「番ねずみ」という言葉は初めてかもしれませんが「番犬」は知っていますよね、あとは読んでのお楽しみ!

☆今月の一冊:『番ねずみのヤカちゃん』(リチャード・ウィルバー作/福音館書店)