新アップルパイの冒険 6

長期滞在者

うさぎちゃんのお料理秋になったので、林檎ジャムを煮始めて、わたしには答えがない。

ひとの作品を見れば見るほど、何をやりたかったのか分からなくなり、本当の答えを探し出そうとする悪い罠にはまってしまう。楽しくないし、苦しいし、呪いのような気持ちが湧き上がる。ひとの回答をじぶんのもののように語るのでは、作る意味はないし、何やっているだろうというところをグルグル回る。早く答えが欲しい。すぐに答えが欲しい気持ちがやる気を削ぐ。

林檎ジャムを煮始めたのは、桃のジャムの作り方を教えてくれた友人が、果肉だけでなく皮をガーゼに包んでいっしょに煮て薄く色をつけるのだと教えてくれたから。mixiを通して知り合ったその人は、割と何でも作ってしまう。コツコツした努力とあふれる好奇心で玄人はだしの粋にまで。レベルが高いのである。道具も材料も本格的である。

その応用で、ガーゼを使わず、コーヒーフィルターを思いつく。ありモノに頼るわたしらしい手抜き。ガーゼの方が良いけど、ガーゼは消毒の匂いがするし、それを取るために煮沸しないといけないので。

使った林檎はサンつがる。林檎の種類によって砂糖の分量も決まる。サンつがるは、甘めなので、林檎二個につき4割程度、レモン半個。下準備として、ボールに水を張り塩水を作る。そこへ四つ切りして剥いた林檎を浸けていく(酸化を防ぐため)。これを取り出して細かく刻み、砂糖共にとろ火で煮る。このとき、真ん中に穴を掘るように、剥いた林檎の皮をコーヒーフィルター煮詰めたモノを置く。すると、林檎の皮の色が淡くジャムに浸透する。ジャムは、煮すぎないのがコツで、お湯を沸騰させて瓶と蓋を煮沸消毒し終わる頃、火を下ろすくらいが良い。

母は、おそらく「好き」をあまり理解しない人であった。「好き」と空気は似ていて、母の「好き」は所有に近いが、世の中に流通している「好き」はもっとボール遊びに近い。キャッチボールしている二人は、ボールの描く放物線ごとであり、ボールの所有権争いをしていると遊びが出来ない。母は、物事はできるだけ計画通りに進めたい質だったので、一寸のまちがいにいちいちクギを刺す。わたしは、母に合わせようとし、妹はそうしなかった。そして、わたしは、自分に限界を感じるのである。せまく、しつこく、広がらないみたいなもやもやを。

これは、正しくなくてもイイのじゃないか?正しさをも求めすぎて、膨らまないケーキ。絶対安全ケーキってあるのか?

いろいろ試し、数々やらかす妹から、今でも定期的に相談電話が掛かってくる。この間は、仕事先に新しく入ってきた人と、やり方も違いそりが合わないらしかった。主にただ悲しいみたいなことに、自分と敵対したと見なした相手とのドラマが組み込まれて、カタルシスがあって面白い。ヤンキードラマの味付けになっているのはご愛敬である(妹の思春期当時ヤンキードラマが全開だった)。上か下か、バックはだれか。そして、時間が解決してくれることを待てない、最短距離で最適解を出したい懊悩が、勢いよくぼとぼとと落ちる。これがぼとぼと落ちるようなら、大体大丈夫ってことが分かるようになって、わたしは何だか淋しい。さっさと上手くて出来ない悲嘆を受け流しつつ、遠距離なので飲みに誘うわけに行かず、あなたはあなただという確認作業をする。

当初仕方なく続けたきたキャッチボールだったけれど、母が闇雲に投げたボールを妹が拾い、今度はわたしに投げてくる。わたしは、この頃ようやく妹が羨ましい。「好き」は、母の言っていたような、誰からも評価される保証やその所有ではなく、もっといろんな複雑な感情に包まれているモノではないか?もうこれ以上動かない、完成しきったモノだけを見ていては、自分の気持ちもかき乱されないが、なんて乏しい世界だろう。