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3F/長期滞在者&more

大きな隔たり

長期滞在者

仕事帰りに、大学時代の友人のY君と久しぶりに再会し、ライブハウスへ行った。
直接面識はないが、Y君の大学時代の友人J君が出演するバンドのライブへ。

豊潤、色鮮やかに花開いた80年代末~90年代前半のオルタナティブの世界において、
とてつもない異彩を放ち、尋常じゃないテンションで突っ走り、そのくせ知性の欠片が見え隠れし、はたまた歌詞はブニュエルとダリによる古典映画アンダルシアの犬を題材としているという、ごった煮の曲がある。

この曲がフロアに流れるや、もう日常生活では絶対しないようなシルエットのダンスをしながら、J君はフロアを踊り廻っていた。

私も高校生の頃、自分の部屋でこの曲を上裸の状態で聴きながら、ふにゃふにゃで緩急のある踊りをしたことがある。もしカーテン越しに向かいのマンションの住民に見られていたら、えらいこっちゃであったが。

と、並列で記載したが、私は自分の部屋で秘密の修行のように、J君は自分のバンドのライブ終了後のフロアの転換でお客さん達が大勢いる中で自分のライブの延長のような状態でのダンス。

一見その行動は似ているようで、実際は大きな隔たりがある。

図1

例えば、登山でもそんな隔たりはある。
小グループで数日かけて2000mクラスの山を縦走するとき。

“判断”をしながら登るメンバーと、ただ従うメンバーでは大きく異なる。
具体的に言えば地図を持参し、自分の位置を確かめながら、コンパスで向かう先を把握しながら進む場合と、ただただ目の前の登り降りを繰り返す者との違い。

”山全体”と対峙する者 と 目の前の坂の連続と対峙する者。

いまの時代、日帰り登山であれば、誰かの登山ブログのページをスマホで開いておけば、他に地図も要らない。

駅から登山口まで迷わずにどう行くか、その後コースのおおまかなルート、所要時間さえ記載されたページがあれば、他には何も要らない。

私は上記に慣れてしまって、坂の登り降りレベルに留まっているので、ちゃんと”山全体”と向き合うことはできていない。実際に、山と向き合いないがら山頂に到達した時はどんな感情が沸くんやろうかと密かに楽しみにしている。

図2

仕事が終わってからの時間をどう使うか。

家庭を持っていたらこんな悠長なことは言ってられないだろうが、今のところ家庭は持ってない中、何かしているようで何もしていないような状態が続いていた。

これは今のうちに何か形に残るようなことをせなあかんと思って、3月末のS社新人賞応募を目指して、小説を書き始めた。それが、昨年9月のこと。

それから半年が過ぎ、やはり進み方には波がある中、ようやく原稿用紙200枚弱に辿り着いたのが、S社の応募1ヶ月前。

そこからダラダラと日本語の誤りや、まとまりが悪く空白にしていた箇所などなど少しずつ直していった。

気付けば〆切1週間前になり、徐々に焦りだし、「まぁ、週末丸々使って完成させればええか」と思ったはいいが、Wordファイルからプリントアウトして手に取って初めから読んでみると辻褄の合わない箇所、疑問符が残る箇所など一気に噴出。

それでも、〆切の6時間前になんとか形になるところまで仕上がった。これで印刷して封筒に入れて、日曜も深夜まで空いてる郵便局に持ち込めばええやと安心していた。

まだ時間あるし最後にもう一度プリントアウトして全ページ読み返そうと進めると、
粗が目立つ。文を直したところが、リズムが詰まって、変な移植手術をしたように思える。

うわー、これほんまに間に合うんやろうかと思いながら、何とか最後まで再々々修正を完了させ、もうこれで大丈夫やなと正真正銘最後のチェックを行うと、これまた粗がたくさん出てくる。

そして、提出する際には、原稿綴じという綴じ方をしないといけない。穴あけパンチも紐も無い。原稿とは別に筆名、略歴も記載しないといけない。

多少はねじ伏せるような強引さ力強さが必要だという気もしていたし、いつもならそうしてきたが、S社の応募要項には同作品は一度しか応募できないという規定があり、この心残りがある状態で提出するのは将来後悔するのではと思い始めると、応募に自信が無くなり、結局応募を取り下げた。

後日というよりほんの数日前、改めて過去の受賞作とその選評を読んでいると、”誤字脱字が目立つは目立つが~”、”この作者は本気で応募する気があったのか”というコメントを選者から受けながらも、その年の新人賞に選出されていた作品があった。どうやら、応募から紙面上での掲載までの間には、編集者による校正が入るようであり、多少強引にも応募した方がよかったのかもとまた思えてくる。

完成と完成手前では大きく異なり、内容として9割完成しているようなものでも、それを「提出」する状態にするためには1割分の時間を大きく上回る時間がかかることがある。仕事でもそうだろう。

このアパートメントの記事もまったく同じだ。

最後に、冒頭でけったいな言葉を並べて紹介した、とてつもない名曲を。

“Released in 1989, sounds like 2089.?”
というコメント欄のトップに書かれているコメントが、これまたとても頷けるものだった。

キタムラ レオナ

キタムラ レオナ

1988年兵庫生まれ

Reviewed by
小峰 隆寛

同じ一つのモノと対峙していたとしても、その姿勢によって隔たりが生まれる。この隔たりを感じ取るかどうか。同じ人間なのに、こうも違うのかという圧倒にさえ繋がって、レオナさんの物語の血肉になる。

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