タリンバビ(Taring Babi)訪問

長期滞在者

先月末、仕事の関係でシンガポールに滞在していた。

滞在中何気なくSNSを見ていると、インドネシアでMarjinalが出演するイベントが土曜日にあることを知った。

Marjinalはインドネシアのパンクバンドで、4年前に来日した際は見に行ったし、彼らのドキュメンタリー映画の上映にも足を運んでいた。日本が誇るVivisickを通じて、Marjinalにのめり込んでいた。

タリンバビ版画

出張中の休日を使って、シンガポールからジャカルタまで約2時間。寝ぼけ眼のまま早朝に何とか起きてチャンギ空港まで向かい、飛行機に乗り込むと、離陸の記憶も無いまま眠りにつき、気付いたら着陸態勢に入っていた。

 

初めて降り立ったインドネシア。空港を出ると、シンガポールよりもカラッとした暑さを感じる。

今回Marjinalが出演するイベントは、ジャカルタの都心部から南に下った、Universitas Pancasilaという大学内の敷地で行われる予定であった。

空港からは数十キロ離れているため、電車を乗り継いで向かう。

空港直結のスカイラインは成田エクスプレスのような快適さで走っていく。
ただ、窓の外には、屋根の壊れたバラック小屋が並んでいる。台風、地震、大雨と日本並みに災害の多いインドネシアで耐えられるんやろうか、いや壊れたらまた作り直すの繰り返しなんやろうなと、当たり前のように広がる吹きさらしの小屋を目にしながら、数時間前までいたシンガポールの高層ビル群とのギャップを感じる。

スカイラインから乗り継いだ鈍行列車は、日本の朝の通勤レベルの満員電車。しかも、ドアの前に立つ人達は場所を譲ろうとは決してせず、駅に着くたびに押し合い圧し合いが発生。車内に冷房も効かない中、熱気と汗の匂いが漂う。1時間ほど満員電車に揺られ、地元の人達に囲まれながら「あぁこれがジャカルタか」と変な満足感を覚えているうちに、目的の駅に着く。

 

前日にイベント主催者にMarjinalの出番を問い合わせると、”Afternoon!”とだけ返信が来ていた。

ただ14時になっても、まだまだ始まる気配は無く、大学内にある食堂へ向かって時間を潰した。

16時頃、気怠さで眠気が襲う。サッカーグラウンドのベンチで眠る。
なぜかあまりにも立派なボルダリングが大学内にあった。

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夕方6時になってようやく地元のアマチュアバンドが演奏を始める。

なかなかMarjinalは出てこない。
Bookin.comで適当な安ホテルを予約しており、21時までには会場を出ないとチェックインに間に合わなかった。

時間潰しに、大学の周辺を歩くが、幹線道路沿いのため、一歩外に出るとバイクや車の嵐で、散歩できる場所も少なかった。

 

結局、20時も過ぎ、次も別の出演者やとそろそろ帰らへんとあかんなと思っていたとき、ようやくMarjinalがステージに登場した。

通常のバンドで演奏している曲に加え、アコースティック編成のMajikという名義で日本でレコーディングしたアルバムからも曲を披露。

もうこのためにインドネシアに来てよかったと思える、胸が熱くなるパフォーマンスだった。

中でも、Ibuku Ibumu Ibumi Kita Semuaという、「母=Ibu」をテーマとした曲では、初めの数小節をMikeが日本語で唄っており、胸に刺さった。

その後、一言御礼を言ってホテルに帰ろうと思ってステージの裏側でMarjinalの中心メンバーであるMikeやBobに声を掛けた。すると、彼らが住んでいるタリンバビは会場からバイクで5分ほどの距離だったことが判明。

ジャカルタ都心部に安ホテルを予約していたが、タリンバビに泊まりたい想いの方が何倍も上回り、一泊することにした。

タリンバビ(Taring Babi)はMarjinalのメンバーを中心に彼らの仲間たちが暮らす共同体(一軒家)のことで、小さな子どもを含め、幅広い世代の人々がここで寝泊まりしている。

メンバーのバイクに同乗し、イベント会場からタリンバビへ向かった。

タリンバビ正面

ドキュメンタリー映画や写真で何度も見てきたタリンバビに着くと、既にタリンバビには20名近くの人達がいた。中は想像通りに壁一面に版画が貼られ、タリンバビの中にいるだけで興奮して血がたぎってくる。

私が滞在した時期、Marjinalはアルバムを制作中で、その日も仕上げとなるミックス作業を進めていた。アルバムの完成に合わせて、来年度には来日を計画していると聞き、楽しみが増える。

タリンバビの中では、特にBobと、お互いの国、将来、音楽、政治、災害(足を悪くして車椅子生活だったおばあちゃんが、地震が起こった瞬間に立ち上がって走ったというインドネシアに伝わる逸話を聞く)などについて、2階のタトゥースタジオ兼仕事部屋で話す。

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その間もBobの友人が何人もタリンバビを訪れる。インドネシアはイスラム教徒の多い国ではあるが、訪問者からは地酒(通称Black Wine)やビールの差し入れが入る。思っていたよりも、インドネシアの夜は長い。日中が暑すぎるインドネシアでは当たり前なんやろう。

深夜3時まで話し込み、翌日13時のフライトでシンガポールに帰らないといけなかったので、一足先に雑魚寝で眠る。ただ、蚊が多く、あちらこちらに刺され、また耳元で羽音を鳴らされ、寝付けない。後から寝にやってきた住人たちはスヤスヤ寝ている。蚊ごときで眠れなくなる自分が情けなくなる。

 

翌朝、空港に向かう準備をする。ジャカルタの交通状態は凄まじいと聞いていたので、相当早い時間に用意を済ませた。

Bobはタリンバビから少し離れた自宅に帰っていて不在だったので、タリンバビの中で寝ていたMikeやメンバーに別れの挨拶をする。朝飯を一緒に食べようと思ってたのにと言われるが、フライトの時間が気になってしまい、断ってしまった。「次来るときは1ヶ月滞在で!」と念を押される。

最寄りのバスターミナルまで、バイタクで行き、その後空港へ向かうバスに乗り込む。
仮に渋滞で1時間足止めをくらっても間に合う時間に出発した。
学生時代なら仮にフライトに遅れたら航空券燃やしてもう1泊すればええわと思っていたが、いまはそういうわけにもいかなくなってしまった。

多少の渋滞はあったものの順調にバスは進んだ。
空港へ向かうバスの車窓から、ジャカルタの都心部の様子をようやく目にすることができた。

急にバスが停まった。また渋滞にハマってもうたんかなと思い、寝ようとしたとき、目の前に果物が差し出された。

なんとMikeが、屋台で果物を買った後、タリンバビからバイクで10キロ以上バスを追いかけて朝飯を届けてくれたのだ。

予想だにしない出来事に呆気にとられ、バスの窓を見ると、マイクがバイクの横に立ち、手を振っていた。

もう、言葉も出なかった。

果物タリンバビ

 

夕方にはもうシンガポールに着いていた。

一杯ビールを飲んで、一息ついて、走馬灯のような2日間の出来事を頭の中で振り返り、長らく味わったことのない感覚を覚えた。その後、翌日の仕事の準備をして寝た。