8月/処暑

長期滞在者

処暑友人や社内含め、自分の身内で4-5人にこのアパートメントの連載を読んでもらっている。とてもありがたい、いつも有難うございます。

 

文章を月に1回でも人目に晒すことをしていると、世に溢れる文章の凄まじさを痛感することもある。

先日、ある俳優のSNSに、山の写真と共に投稿されていたサラッと書いていた下記の文章。

「自分にとっての自然とは やはり癒しというより ハラハラした緊張感
生き死にに限りなく近い環境で ヒリヒリと感覚が研ぎ澄まされ 野生を呼び醒ます」

この文章を読んで、長年謎だった、自分の中にある山を登ることへの一種の中毒性のモヤモヤが解けたような気がした。

おそらく、下山直後の、身体がまだ半分山に浸かっているような、研ぎ澄まされた状態で投稿したんやろうか。部屋の中で何時間も頭抱えても、到底こんな文章は出てこないと思う。

 

 

8月ももうすぐ終わるけど、今月自分はどういう過ごし方してたか振り返ってみよう思い、無意識のうちに真っ先に開いたのは社内のGoogleカレンダー。やはり職場で過ごす時間が最も長いので当たり前やけども、何か切ない。

せっかくやからとGoogleカレンダーで確認したら、今月は特に出張も行ってなかった。仕事終わりや休みの日は何してたんやろうか、LINEのやり取りやスマホの写真を頼りに思い出してみる。

新しい友人が出来たり、溝の口の西口でちょっと呑み過ぎて、久しぶりに台風クラブの演奏見れて夏感じて、暑いから多摩川ランニング休止して仕事帰りにプール行くようになり水の中の気持ちよさ分かるようになって、映画館へはロビンソンの庭見た1回のみで、本八幡のレコード店で2枚だけフォークのレコード購入。山は一回も登らず(一度登ろうと計画したが、翌朝起きられず)。

意外と時間しっかりとって生活(主に余暇)してるやんと分かったところで、それならもっと時間費やして、実のある記事を書けたはずやんと反省していたら、この記事書いてる日(8/23)が処暑やったと知り、この曲載せることで上手いこと記事締められるやん!!と一人部屋の中でテンション上がる。

ほんまはこの記事書いてる8/23の朝から日曜の昼まで千葉の山奥のお寺の坐禅合宿に行くはずやったけど、遅れに遅れて夜から参加することになって、これから雨の中『処暑』を40回くらいリピートしながら外房線に揺られてお寺に向かい、その後しばしの間、下界とシャットアウト。

 

 

数日前までは、今回は受験についての記事を書きたいなと思い、大学の出題する問題の傾向とその大学の学生の雰囲気って何かしらマッチしてて、カラーが出てておもろいから記事にしたいなぁ、でも、頭に思い浮かぶのが京大の話に偏り過ぎて、何かまとまりないなぁと思っていた中で、京大西部講堂の存在もカラーに影響してるんちゃうかと考え、京大出身という点でどんとに繋げられるなと思い始め。。80年代の京大の色濃さがより出てるのはボガンボスよりローザルクセンブルグやなぁ。そして、ローザやと『在中国的少年』の衝撃が大き過ぎて絶対この動画貼らねば、、と妄想重ねる。

 

とか考えていたら、まとまりも無くなって受験について書くのは先ほど諦めた。

いつか、京大の依怙贔屓にならへんようにもっと整理出来たら入試と大学のカラーについて書きたい。

先月のタリンバビ訪問の記事との落差激しいなと自分で反省。

坐禅合宿で心機一転して、9月を迎えます。