いのちへのまなざし

長期滞在者

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稲葉俊郎『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)

本棚の前を立ち去ろうとした時、視界の隅で一冊の本が光った気がして振り返った。
血液のように真っ赤な表紙に、金色の箔押しでタイトルが刻まれた本が、棚の左上にあった。その本は、並べられている他の本と比べてどこか雰囲気が違っていて、どうして気づかなかったんだろうと思いながら手に取る。ぱらぱらとめくって、その時は稲葉俊郎さんというお医者さんが命や体について書いているらしい、ということを知る。立ち読みをしたりじっくり吟味したりはしていないのだけど、買おう、と思っていて、手に持ったまま店内をうろつき、他の数冊と一緒にレジへと持って行った。

”「いのち」の根本の問いに対して「Why?(なぜ?)」を突き詰めていくと、神話や物語や宗教の世界と出会い、「How?(どうやって?)」を突き詰めていくと物理学や化学や医学などの自然科学の世界と出会った”

幼少期は体が弱く、病院のベッドで天井を見つめているばかりだった記憶が、稲葉さんが生命に興味を持ち、医師になったきっかけとして綴られる。上の引用は、その中で出てきた文章だ。こうして「いのち」を多角的に考えているから、稲葉さんは東大病院に心臓医として勤めながら、西洋医学だけでなく東洋医学や民間療法も幅広く勉強され、さらに音楽や美術にも深い関心を抱いている。
この本は、そうして稲葉さんが培ってきたさまざまな知識と感性を総動員して書かれている。といっても雑談のように話題がスイッチしたり、美しいメタファーがふんだんに使われたりしているので、堅苦しい雰囲気はない。西洋医学と伝統医療のように一見相反するものを扱うこともあるが、決してお互いを否定することはなく、時にはふわっと跳躍しながら結びつき、理論の糸がもつれることもなく記されている。一つ一つのトピックにフォーカスすれば何冊も書けそうな情報の密度を持ちながら、あえてそうしないことで、著者の思想をしっかりと写し取った一冊だと感じる。

この本に貫かれているのは、徹底した生命への肯定である。内容もそうだけど、それ以上に文体からそれがにじみ出ていると思う。たとえば、第一章「体と心の構造」では、人体を構成する60兆個の細胞について書かれているのだけど、その筆致はまるで神秘的な生態系について記しているかのようだ。

”次に「味覚」だが、味を感じるのは舌の上にある一つひとつの「味蕾細胞」が感知している。味覚にも、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五種類を総合的に感じているが、それもすべて一個一個の生きた細胞が寄り集まって、役割分担しながらそれぞれの細胞が会議し、その合議として、複雑な味の結論を提示している”

”視覚の原点は、光を感じることにある。目は、光としてやってくる情報を取り込む入り口だ。外からやってきた光は、目の水晶体を通過して光を屈折させ、その奥に敷き詰められている網膜へと届く。この網膜には光を感じるための視細胞が一つひとつ、ベルベットのように敷き詰められている。視細胞は光をキャッチし、そこに脳から直接伸びた視神経へと情報が渡され、大脳へと光の情報を伝える”

こうした文を読んでいると、それらが集まっている自分の体が豊かな土壌を持った森であるかのような気分になってくる。細胞や体の器官にこんな風に美しい眼差しを向けることこそが、生命への限りない賛辞ではないだろうか。
さらに、ここでは人体の構造だけでなく進化の歴史もたどっていて、たとえば私たちの目は赤・青・緑の三原色で世界を見ているけど、昔はこれに紫外線を加えた四原色を識別していたとか、地球の自転に由来する太陽のリズム=1日が24時間なのに私たちの体内時計がそれより10分ほど長いのは、月の引力が生み出す海のリズムが24.8時間で、生物が海から陸へ上がってからの4億年という長い歴史の中で少しずつ補正されてきているからではないか……といった話も紹介されている。
読むうちに、自分の体が人類という大きなものの歴史を内蔵していることを、じんわりと水が浸みわたるように自覚していく。そんな風にして自分の体と出会い直すことは、社会的なものさしでしか生きることの意味を測れず苦しんでいる人にとって、大きなパラダイムシフトの可能性を秘めていると思う。

視点の転換は、ほかにもある。そのうちの大きな一つが「健康」についてである。曰く、西洋医学では病を悪とし、倒すことが至上命題にある。現在の医療ではその考えがスタンダードだけれど、長い歴史を持つ伝統医療は、健康のあり方を自分自身で決めるという考えを持つ。人それぞれ健康の形は違うから、主観的に「健康」を感じられるように、私たちは心身との対話を続ける必要がある、という。「回復とは、回復し続けること」というダルクの言葉とも近いかもしれない。大切なのは自分自身の調和や、バランスを見つけることなのだ。
一概には言えないけれど、その調和を目指して体にアプローチするのが医療で、心にアプローチするのが芸術だと言える。第三章「医療と芸術」では、自らの内的世界と深く対話することで作品を生み出している人たちとして、「アール・ブリュット」の流れから、詩人の岩崎航さんや写真家の齋藤陽道さん、坂口恭平さんなどが紹介されている。岩崎さんは筋ジストロフィーのため体が不自由で、齋藤さんは耳が不自由だ。坂口さんは躁鬱病を抱えている。彼らは皆何かしらの心身の不自由があるが、自分の心と対話することで、作品を作り出し、日々を生きている。

心身の不自由は、自分と深く対話をする契機になりやすい。でも、明確な不自由の有無にかかわらず、芸術的な自己表現をしているかにかかわらず、私たちの心にはオリジナルの起伏があり、そして体も一人一人違う。そのことに到達すると、その敬意は読者に向けられ、今を生きている人、過去に生きていた人やこれから生まれる未来の人々まで照射していく。

生きることの素晴らしさというと、どうしても教科書的になってしまって、説得力を持って伝えることはとても難しい。だけどこの本では、人は、あなたは美しいということを、こんな風に伝えられるのかと驚くことがたくさんあった。人間が生きることのもっとも大きな方向性を照らしてくれる、灯台のような一冊だと思う。