ろくでもなさを愛する/きちんと欲望する

長期滞在者

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できて間もないGINZA SIXは、大勢の人でごった返していた。
銀座に来慣れている人、あまり来なさそうな人、アジアからの観光客。ショッピングバッグを持った人、草間彌生のかぼちゃの写真を撮っている人。ファッションブランドに勤めている恋人によれば、オープン以来新宿や表参道から銀座へと人が流れているそうで「松坂屋跡地にできた、銀座エリア最大級のデパート」という触れ込みは伊達じゃないらしい。誰もがこの新しく巨大なスポットを、それぞれの遊び方で消費していた。もちろん、僕もその1人だ。

煌びやかなフロアで、スピーカーから流れる椎名林檎とトータス松本の「目抜き通り」を聴きながら、雨宮まみさんのことを思い出していた。
それは雨宮さんが亡くなってから半年ほど経った5月のことで、生前に親しかった人たちが最近SNSで思い出や遺骨のことをつぶやいていたのを読んでいたからかもしれない。雨宮さんがGINZA SIXを訪れたら、何を買って、どんなことを感じたのだろう。

僕は雨宮さんとお会いしたことはないし、生前から熱心な読者だったわけではなかった。はじめてちゃんと文章を読んだのは『愛と欲望の雑談』(ミシマ社)という、社会学者の岸政彦さんとの対談を収めた本だった。自意識や恋愛について鋭い考察を交わしながらも、基盤はあくまで雑談として、話が四方八方へ広がっていく。岸さんの名前に惹かれて買ったけれど、読み終えるとすっかり雨宮さんのファンになっていて、近いうち単著も読んでみよう、「穴の底でお待ちしています」というウェブ連載をいつもリツイートしている友人におすすめを聞いてみよう、そんな風に思っていた。「亡くなった」というニュースが流れてきたのは、そんな矢先だった。

多くの人が混乱しながらもその訃報についてつぶやいていた。同じ時代を生きている人が突然いなくなるってどういうことなのかを知った。反射的に、生きなきゃ、と思った。ちょうど仕事や人間関係でつまづき、生きるのやめたいなとばかり考えてしまっていて、そしてそのことを誰にも打ち明けられずにいた頃だった。

それからは、雨宮さんの文章を読み続けた。自身の半生を綴った『女子をこじらせて』(幻冬舎文庫)や、地方出身者の目で東京という街を切り取りながら、深く沈み込んで自分の欲望と向き合った『東京を生きる』(大和書房)。書籍も読んだけれど、何度も読み返しているのはウェブの連載やブログのほうだ。
去年の冬はとにかく何にというわけでもなく気落ちして、仕事があるから会社に行くけどまったく手につかないことがしばしばあった。そういう時、デスクでこっそり雨宮さんのページを読むことが支えになっていた。

よく読んでいたのは読者の愚痴を聞く連載「穴の底でお待ちしています」と、40歳を迎える自分の心境について綴った私小説のような「40歳がくる!」だ。
穴の底でお待ちしています」は2014年から2年半ほど続いていた連載で、読者からは一筋縄では解決できないようなしんどい愚痴がいつも届く。腫れ物に触るような励ましに疲弊した読者の心に、雨宮さんは思い切って一歩踏み込む。ユーモアを交えながら彼女たちの苦しみに寄り添い、それを誰かと比較することなく、独立した感情として受け止める。一見自分が共感することがなさそうな話でも、いつも引き込まれて読んだ。
ここで、雨宮さんは徹底して「自分を許す」ことを伝えていると思う。ただ、その「許す」には深いグラデーションがあって「甘やかす」「肩の力を抜く」だけではなく「ろくでもなさを認める」というところまでたどり着く。それは人が一番見たくないものだ。雨宮さんはそのろくでもなさを、時には自分の経験を交えながら、愛そうとしていた。
雨宮さんの返答は、その人が背負っていかざるをえない荷物を軽くすることはしない。でも、背負わなくてもいいものを教えたり、雑然とした荷物を整理して歩きやすくしたりする。自分を許せない人の中には、それすらずるをしているような、まるごと飲み込まないと嘘になってしまうような感覚がある人もいるんじゃないかと思う。自分もそうだった。でも、それはきれいごとというか、清濁併せのんだ気になっているだけで、実際は一番見たくないものを見ないようにしているだけなのかもしれない。

「穴の底でお待ちしています」で他人に「自分を許す」ことを伝えていた雨宮さんが、それを自ら実践したのが2016年に大和書房webで連載されていた「40歳がくる!」だ。

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雨宮まみ「40歳がくる!」(大和書房web)

この連載の第1回は、「40歳になったら、死のうと思っていた。」という、桐野夏生の小説『ダーク』の一文の引用からはじまる。雨宮さんが同じく大和書房webで発表していた連載「東京」(のちに『東京を生きる』として書籍化)の「お金」という文章の冒頭は「三十歳になったら、バーキンを持つんだと思っていた」だ。これは明らかに対応関係にある。多分雨宮さんはこの連載で、自分を更新しようとしていたのではないか。
文章としても、前作『東京を生きる』であえて封印していた雨宮さんのユーモアを存分に発揮させ、それが年齢を重ねたたくましさと結びついて眩しい。日常を覆うしんどさも相当パワーアップしてみえるけれど、それを振り切って余りあるほどに生きるエネルギーがみなぎっている。
このエネルギーを、雨宮さんは欲望を解放することで生み出していた。

”一生に一度でいい、ワンシーズンだけでもいい、私は私の欲望に、言い訳をしない一年が欲しかった。「本当はあれが欲しかったけど」とか、「本当はあれを書きたかったけど」とか、そういう「本当は」の一切ない世界を生きてみたかった。”(「08 欲望に溺れる」より)

蛇口を強くひねればその分だけ水が出るけれど、欲望を解放するのはそんなに単純なことではない。荊を焼き払う行動力や、吊り橋を切り落とす勇気がいる。「40歳がくる!」は、その記録だった。貯金が過去最低になるほど洋服を買い、ヌードフォトを撮り、綾波レイのコスプレをする。人から見れば笑ってしまうことでも、雨宮さんはそれを「心から欲しい」と認め、勝ち取る。

それは、自分を許すことと地下で繋がっていた。自分を許さないことと言い訳をすることも、地下で繋がっていると思う。正直になった先に待つものと、いわゆる「正しさ」が一致しないこととも関係している。

そしてその欲望は、買い物や行動だけでなく仕事にも及んだ。

”嘘をつくのはやめよう。対外的にいい顔をするのはやめよう。できもしないことを、無理してできるふりをするのもやめよう。今年だけでもいい、嫌なことは嫌だと、できないことはできないと言おう。私は、私の人生を生きる。だって、もうそんなにたくさん残ってるわけじゃない。まだ若い、けれど、永遠に続くわけじゃない。生命自体は続いても、体力も気力も充実していると言える期間がどれだけ続くかわからない。私は、私のしたいことをする。私は、自分の書きたいことを書く。そして私は、なりたい私に、本来そうであった生身の私になるのだ、と思った。”(「11 お金、どうする!?」より)

雨宮さんの仕事への真面目さは、この文章以外からも見て取れた。今もこの文章を読み返して「書いたものに責任がついてまわる。本当に書きたかったわけではないものの責任なんて背負えない」という部分に、自分の甘えを見透かされたような気分になった。
理想と現実は違う。でも、これほど誰もを納得させられる言い訳はないのだ。繰り返すうちに、自分自身の心の中さえ絡め取られていってしまう。理想も現実も直視せずに、その言葉を口にしていないか。雨宮さんが欲望を解放するのは、言い訳しようとする心を断ち切り、理想を現実に強い力で引き込もうとすることだ。その時、理想と現実の違いははじめて諦めの常套句ではなく、戦った先のどうにもならない事実として立ちはだかる。
雨宮さんは25歳でフリーライターになっている。僕もいま25歳で、今年フリーライターになった(半分は会社勤めだけど)。雨宮さんがフリーではじめて仕事をしたのは、『クイックジャパン』というカルチャー誌に「椎名林檎に嫉妬している」という内容の原稿を書いたことだったという。奇しくも、僕もフリーではじめて仕事をしたのはクイックジャパンだった。そんなの別に大したことではなくて、こちらが勝手に親近感を覚えているだけなのだけど。

GINZA SIXのテーマソング「目抜き通り」は、椎名林檎がトータス松本を客演に迎えた曲だ。2人の歌い手の弾んだ歌声が絡みながらビッグバンドの華やかな演奏に乗り、「最期の日から数えてみてほらご覧 飛び出しておいで目抜き通りへ!」と締めくくられる。
最近の雨宮さんが椎名林檎をどんな風に見ていたかは知らないけれど、これは、雨宮さんが伝えようとしていたことと重なる。嘘をつかないこと。命や時間の使い方を他の誰かに決めさせないこと。きちんと欲望すること。そこから人生がはじまること。

自分を振り返ってみると、小さなことから大きなことまで、言い訳ばかりしている気がする。自分に嘘をつくことに慣れすぎてしまって、なかなかクセが抜けない。今はその巨大なツケを払い続けている気がする。
わかっていても、人は何度も間違うだろう。忙しさにかまけて忘れるのだろう。でもそのたびに、雨宮さんの遺した文章を読もうと思う。あの日心が死んでいる時にデスクで読んだように、ベッドから起きられない最悪の気分の朝を迎えた時でも、電車を待つギリギリのホームでも、スマホの四角い画面を通じてそれは届くのだから。