世の中をなめてる暇はない

長期滞在者

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『高校生と考える人生のすてきな大問題』(左右社)

「自分を否定しないこと、これこそが世界を変えるための第一歩です」

書店で、表紙に踊る少女が描かれた一冊の本にふと目を奪われた。本の題名は『高校生と考える 人生のすてきな大問題』。神奈川県にある桐光学園で毎週土曜日に行われている、各界の著名人を呼び、中高生を相手に講義をしてもらう「大学訪問授業」をまとめたものだ。
冒頭の言葉は、この本の帯に書かれている漫画家・竹宮惠子の発言。このほかにも、田原総一郎、小野正嗣などが登場し、テレビ業界の話から漫画、文学、哲学、政治、デザインなど幅広い文脈で、20の授業が収録されている。
ぱらぱらめくってみると、高校生に向けて話しているためだろう、噛み砕いた語り口で読みやすい。裏表紙を見てみると、ここの帯にも授業をした人の印象的な発言が並ぶ。

「三日以上先のことを考えない、それがそのときぼくが立てた方針でした」(内山節)
「この世を馬鹿にしてはいけない、この世には、自分の思いもよらないようなすぐれた人間がいる」(加藤典洋)
などなど。
書店を訪れたのは3月の暮れで、4月から働き方が少し変わることになっていた。新卒で入った会社で3年働いたのを一区切りにして、フリーランスでも仕事を受けることにしたのだ。生活のリズムが変化してゆく中で、無意識のうちに、何か初心に立ち戻れるような、これからのヒントになる言葉を探していたのかもしれない。帯に並んだ言葉を見て、レジへと向かった。

本は全部で6章に分かれている。第1章「生きていることの面白さ」では、テレビ業界の裏側を自身の半生を通じて語るジャーナリストの田原総一朗にはじまり、25歳(今の自分と同い年だ)の時に、元祖BLと呼ばれる『風と木の詩』の連載をスタートさせた竹宮惠子、岡潔の本と出会ったことで数学の道に入り、昨年『数学する身体』で第15回小林秀雄賞を受賞した独立研究者の森田真生の3人が登場する。
田原総一朗は最近の自主規制が多いテレビ・メディアでは聞けないような刺激的な話で授業を展開し、竹宮惠子は自分自身の作品を紹介しながら、「変わっていくことを、挑戦することを恐れるな。若いことは無敵だ」と力強いエールを送る。その言葉は高校生に向けて語られているのだけど、自分はまだ一つも成し遂げていない、と感じている人なら、何かを思い出すんじゃないかと思う。
一方、まだ30代前半の森田真生は若々しい口調で語りかける。話し相手の高校生に対して距離が近いというか、数学の面白さ、岡潔という人との出会いについて話しているうちに言葉が熱を帯びていく、という感じ。励ましの言葉より、夢中になって何かに向かっていく人の姿勢が勇気をくれることもある。話の熱量そのものが「生きていることの面白さ」を体現しているようだ。

特に印象深かったのは、第2章「私の生き方、私の出会い」で、文芸評論家の加藤典洋が話す「人、人に会う」。「この世にはろくな人間はいない」「世の中をなめていた」と考えていた青年時代、哲学者の鶴見俊輔と出会ったことで考えが変わったと話す鶴見は「うさんくさいということをおもしろがれ」と語る。

これには少し、ぎくりとした。小心者で、嫌になるほど根が真面目な自分にとって、うさんくささはうまく手に入れられないものの一つだ。人の目とか社会の声を過剰に内面化して、道から外れることができない。状況によって正解なんか変わるとわかっているのに、自分の頭で考えたことより世間の常識を優先してしまったりする。
新卒で入った会社になんだかんだ3年きちんと勤め続けたのも、その方が社会的にまっとうな人に見られそうとか、人の目を意識していたところがあった。それだけの理由で3年いたわけではないし、後悔してるかと聞かれると必ずしもそうではないのだけど、判断を保留したり、自分の中で踏ん切りがつかないところを一般常識で蓋をして、しょうがない、と思っていた。
そうやって自分の内側にないもので自分を正当化していると、気づかないうちにぼろぼろになっていく。自分で自分にうんざりしながら本当はこうじゃないと心の中で叫び続けて、世界を見る目が歪んでいく。また、人から見た時の自分と、こうありたいという自分のイメージがずれて、不当に評価されていると感じるようになる。世の中に対するまっすぐな姿勢を保てなくなって、すごい人に出会っても、絶望しかできなくなる。

でもそれは、自分の人生に責任を持とうとしない生き方じゃないだろうか。しょうがないと思いながら、自分は全然納得していなかった。飲み込めるならいいけど、飲み込めないなら、壊していかないといけない。それは、竹宮惠子の言った「自分を否定しない」という言葉とも通じあう。
責任を放棄してしまいたい時期も、責任を持つことができない環境もある。だけど、すごい人やものに出会えるというのは、絶対に希望だ。そう思えない時はこれからもきっと訪れるけど、どんな分厚い雲に覆われていてもその上には必ず青空が広がっているように、わからなくても覚えていたい。自分自身もつい見失いがちなこのことを、書いておきたいと思った。

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「自分とは」というところにフォーカスしたが、本自体はいろいろなものへの思考のきっかけを与えてくれる内容も多い。鈴木貞美という人は宮沢賢治の研究を通して、文学への入り口を、一人の作家をじっくりと味わうことの豊潤さを示してくれているし、第4章「現代世界への視線」第5章「いま、日本は」には、政治的なアプローチの授業もある。決して堅くはないが濃密で、中国との関係やフランスのテロ事件を真っ向から扱った授業から、新国立競技場の話を切り口に建築や都市、グローバリズムへと広がっていく建築士の五十嵐太郎の授業まで、非常に多彩だ。一人の人が何かを突き詰めるのはこんなにも豊かな冒険で、彼らによってつまびらかになる世界はこんなにもダイナミックで繊細。こんな話を立て続けに20も読んだら、世の中をなめている暇なんてきっとない。