当番ノート 第1期
ふたりの写真展「apart」に行けなくてごめんね。 最終日に顔出す予定だったんだけど突然の不幸な便りが舞い込んだりして行けなかった。 僕がふたりと知り合ったのは、この写真展でも数多くの写真が見られたであろう 東北の仕事が一緒だったから。 僕にとっての東北の仕事は単に手伝いで、バイトみたいなものだった。 クリスマス休暇を利用して東北での撮影の3泊。 誰とも友達にもならずに、話すこともなく終わっても不…
当番ノート 第1期
今の新しいアパートに引っ越してから2週間目。 相変わらず部屋は片付かないけれど、新しい家から新しい会社のビルへの通勤にも慣れてきた。 高所恐怖症だから絶対やばいと思っていたエレベータにも大分慣れてきて、今週に入ってからはほとんど何も感じない。こうやって文章に綴って改めて冷静に見てみるとなんとなく恐ろしい。慣れは人間の感覚を鈍化させる。 そう、慣れというのは本当に恐ろしいと思う。 IT技術においては…
管理人室の往復書簡
かおりさん 先日はどうもありがとう。 ギャラリーのタナカさんや、清史さん、そして森山隊長とも逢えたし、嬉しかったし、そしてさ、緊張した。 なんでこうも、ただ逢いたかったひとに逢いに行っているのに、嬉しいのに、話せばいいのに、固まるのだろうか。 おとなになればなるほど、緊張の度合いが>(だいなり)になっている気がしている。 シンプルに「わーい」って思っているのになあ! 展示されていた写真のこと、うま…
当番ノート 第1期
こんな時がたまにおとずれる。 決して望んではおらんのだが、致し方ない。 兎にも角にも繋がりが鈍いのだ。 今回もいちばん近いことから始まるわけで、iphoneが反応しなくなる。 秋にホームボタンの不調で新しいものに替えていただいたばかりで、まだまだ壮年期。 だのにだのに、勝手にvoiceoverがオンになり電話すらかけられない。 パスコードの解除ができず。 Faxが送信できず、itunesから音が出…
当番ノート 第1期
最近よく耳にするダンシャリという言葉。 周りの会話にも「あ~ダンシャリだよね」と適当に交ざっていたのですが モヤっとしか意味は知りません。捨てる、とかそういうこと? 言葉の感じからするに、「デラックスなご飯!」 「ほうら、米粒が立ちます!」(ドヤ顔)みたいな風に感じていました。 僕がmottoとしている「守破離」に似てるな、くらいの認識です。 - さあ、いよいよ今週末は引越。 平日でも少しずつ作業…
当番ノート 第1期
製作中の音源をアップします。 high up in the sky まずは上の「high up in the sky」をクリック。
当番ノート 第1期
先日、市内のビルの最上階から洛北の山並みを見ていたら、不意にあるイメージを思い出してしまった。 以前、といってもずいぶん幼いころの記憶。 実家の二階の窓から見える山の向こうには雲の工場があって、どこからか連れてこられた沢山の子供たちがそこで雲作りをさせられている。いつも山向こうから雲が起こるのはきっとそこに工場があるからに違いない。 誰に言われたわけでもなく、なぜかずっとそう考えていた。 山陰の暗…
当番ノート 第1期
ここ数日は朝の眩い日差しで起きている。 ・・・カーテンがないんですね。はい(笑) 今回引っ越した家はなんとも窓の多い家で、擦りガラスの窓から明るい日差しが差し込んできます。 今は冬だからちょうどいいくらいの時間帯に日が出てくれるので目覚まし代わりにはちょうどいいわけです。 ・・・なんて結局カーテンを買いに行く時間がとれていないだけなんですが、ね(笑) でもそのおかげか実際ここ数日気持ちのよい目覚め…
当番ノート 第1期
下弦の日に…月に書きはじめます。 入居者の方々はとてもすてき。 週を重ねるごとに、思いを馳せる。 いつか、アパートメントで集いたい。 余談だけど、いま夫にアパートメントの方たちはみな伝えるのが上手なんだよと話すと、 何を伝えたいかでうまく書かなくたっていいじゃないかと、直木賞をとるわけじゃなしと どや顔で云いはなった。ほくそ笑んでいやがる。 大事なことなのは、頭ではわかっていた。 生き…
当番ノート 第1期
こんなタイトルで、さぞアーティスティックな内容を期待された方。 残念でした。物理的な嗅覚の話です。 先週一週間、僕はインフルエンザまがいの風邪で倒れておりました。 生来のアレルギー性鼻炎で、いつの頃からか「匂いがない生活」を続けておりましたが この風邪を機に(?)、なぜか嗅覚が復活したのです。 いや、ほんとになぜだ? 人体のフシギ。 そんなわけで毎日いろんなものをクンカクンカして暮らしています。 …
当番ノート 第1期
環境が己を作る。とは誰の言葉だったろうか? 僕らは日々変化している、記憶から細胞に至るまで同じものは一日たりとてない。 だとすれば人一人の人生を一本の筋道だった線として形成させているパーソンは本人の中になどは存在していないのだろう。 少なくとも僕には、人は己の中に己を見いだせない生き物であるように思える。 以前、僕はとある町はずれの木造二階建て、五畳半のアパートで一人暮らしをしていた。 隙間風に凍…