当番ノート 第16期
世界の片隅の扉の向こうに、その町があり、その雨が降る。 ”雨粒砂絵画廊” 住所:ツバメ町 海辺 ツバメ町は扉の中の町ゆえか、あるいは町の太陽が人工物だからか、雨量は少ない。そんなツバメ町の居住区を抜けた先、町の北部に、海が広がっている。その広さを知るのは鳥だけ、深さを知るのは魚と鯨だけだという。 砂浜の脇のほうには二十段の小さな階段があるのだが、白いブロックを積み重ねた簡素な階段だけ…
長期滞在者
どんな言葉をつないでも どれだけ言葉をかさねても おそろしいことばかり思いついて 喉元から引き返してしまう では胃の腑に落とし込めるかなと 考えをめぐらせてぎゅうっと押したら おなかを突き破られちゃった ぽっかり口をあけた空洞には 時間を詰めてみるつもりだけれど 穴を塞ぐには当分かかりそうだよ
当番ノート 第16期
「個性を殺しちゃいけない、うまく混ざり合うように」 カクテルをつくるうえで忘れてはいけないこと。この教えは、人間関係にも通じるものがある。とぼくは思う。 ちょっと重めの扉をくぐって、カウンター席に座る。その視線の先には、形も大きさも異なる、たくさんのボトルが並ぶ棚(バック・バー)が映り込んでくる。暗がりのバーでは、ぼんやりした灯りがボトルを照らしてきらびやかだ。そんなボトルを眺めるたびに、人間みた…
当番ノート 第16期
恵比寿の少し奥まったところに、Nadiffアパートという、こじんまりとした芸術・アート系のギャラリービルがあります。今年の5月、ここで開催されていた「独居老人スタイル」展を訪れました。1階の本屋から螺旋階段を降りた、8畳くらいの地下室が会場です。 独居老人というと暗く悲しいイメージが世間的にはありますが、”好きな場所で好きなように暮らす”ためにあえて独居を選択したケースを紹…
虫の譜
子どもの頃のカブトムシ・クワガタ捕りは、灯火にやってきたものを捕るのであったり、父と見つけた毎年複数匹のコクワガタが棲む木にピンポイントでじっくりと目を凝らすというのが主だった。それらはある程度「そこにいる」ことが分かっている確率の高い方法である反面、いなければもうその日はどうにもならなかった。だから胸の高鳴りは車が目的地に着くまでにどんどん盛り上がって、ポイントの木を見始めるときに最高潮を迎え、…
当番ノート 第16期
世界の片隅の扉の向こうに、その町があり、その事象がある。 ”事実事典氏” 住所:ツバメ町 G地区 繭の小路 彼はこう語る——— 「なにしろ、ツバメ町には創作的なことをできる人間は、極めて少ない。ツバメ町の人間にできるのは、消えない虹を作ったり、過去に読んだ本にまつわる記憶を消してもう一度その物語から新鮮な感動を得られるようにしたり、そんなことだからね。小説や歌や絵画は、この町で…
当番ノート 第16期
バーのカウンターの中にいると、いろんな人がお店に来るもんだから、いろいろな景色が見える。たまに見かけるのが、お酒がまったく飲めなくて、申し訳なさそうにしている人。オーダーに伺うと小さな声で「ソフトドリンクはありますか?」と眉をひそめながら聞いてくる。そして、すかさず一緒に飲みにきた人は「え? ここにきといて飲まないの!?」と圧をかけるような人もいる。もちろん悪気があるわけじゃないんだけど。 あたら…
長期滞在者
仕事の移動中に昼食を摂る時間がなかったのでコンビニエンスストアでおにぎりを買った。コンビニおにぎりといっても最近はなかなか馬鹿にできなくて、 けっこう凝ってて美味いものも多い。買ったのはゴボウと鶏肉がゴロゴロ入った鶏牛蒡飯。僕はゴボウが好きなのだ。 が、切符を買い時刻表を見てあれこれ考えながら駅のホームへのエスカレーターを上っているうちにいつの間にか手の中におにぎりがない。何のことはない、無意識の…
当番ノート 第16期
前回はBob Dylanの”Subterranean Homesick Blues”を取り上げました。そこで情報の断片を過度に集積させることが、その個々の意味性を崩壊させるという面白さがあること、その光景が『童夢』にも見られることを言いました。 この『童夢』は、何回読み返してもそのスピード感とスリル、そしてドラマに圧倒される大友克洋のマンガです。高度経済成長期を過ぎた頃の公営団地を舞台…
ショートな絵本
夏の光がつよくあたって、野原はきらきらしていました。 大きな木が一本、見上げるような高さでたっています。 さわさわと風が葉の間をとおりぬけるたび、かわいくて小さい光がくすぐったそうにはじけました。 くすくすと笑いさざめきながら、光たちは葉っぱの間で顔をだしたりかくれたりして、あそんでいるのです。 夜がやって来て、 あの野原の木の上に流れ星がおちました。 木のてっぺんにあるくもの巣に、ながれてきた星…
長期滞在者
ぼくの父方の祖父は、その当時は教師だった そして母方の祖父は、その当時は銀行員だった どちらも戦争には行っていない 昭和20年、父5歳、母2歳 父の住む町は、京都に近いこともあり B29が飛び交う空を見上げることはあっても、空襲にあったことはなかった 母の住む町は長崎にあって 軍事工場が多いので危ないという噂から、佐賀県に疎開したのだという 父の住む家は、畑もあったし田んぼもあったし 庭にはポポー…