となりの部屋の長嶋さんの話で思い出したのだけど、
僕は魚を食べるとき、かならずと言っていいほど妄想する世界がある。
無人島に漂流したシノハラが絶望の中、木の枝を石で削って銛を作り、
1日格闘した末にやっと捕まえた1匹を火きり棒を汗だくになりながらこすり合わせてようやくおこした火で丸焼きにする。。。
それは格段に魚の味をうまくする。
自分の脳をいかに自分でだませるか、僕なりのちょっと幸せに生きるコツ。。。
とか書くとなんとなく自己啓発や幸福論のすすめ的に聞こえそうだけど、
僕は誰かが唱えるそういったものにあまり興味がなく、
大人になりきれない妄想家のたわごとと思って読んでもらえればと思う。
数年前、ひとりでスペインを旅した時のこと。
僕は石畳の上を歩きすぎてコマの取れたキャリーケースを厳重にかかえ、
暴漢にねらわれないよう、観光で来てるんじゃないんだ、
隣町からキャリーケースの修理でちょっと寄ったんだよっていう
偽物の余裕をまとって、歩いていた。
その態度からか現地の人からも
「もうずいぶんここに住んでるみたいだね。」と言われ、やたら道も聞かれた。
たどりついた小さなのホテルはドミトリーだった。
今や頭の中でウーピーゴールドバーグに変換されたゴスペルのうまそうな掃除婦が
時間を訪ねてきた。
腕時計を見て時間をこたえるとすかさず
「グラシアス。」
ちょっと、はにかんでかえすと、
身振り手振りでコトバを繰り返した。
自分を指して
「グラシアス。」
僕を指して
「ディナーダ?」
なんとなく
「どうしたしまして。」みたいなことかな?と
いつのまにか僕もその一連の動作にくわわり、
「グラシアス→ディナーダ」
を繰り返し、なんだかゴスペルのうまい女とゴスペルのへたな男のかけ合いのような
不思議なハーモニーがホテルの廊下に響いていた。
なんてことない1シーン。
でも、この掃除婦はまったくコトバの通じない外国人に
自国のコトバを持って僕とつながろうとした。
少なくともそのとき世界は国境も国籍もない、
隣町からキャリーケースを担いできた風な男と
ゴスペルのうまそうな掃除婦だけの関係でまわっていたような気がする。
ホテルの部屋は僕と4人家族だけだった。
国内旅行らしくコトバはほとんど通じないながらも
カメラを向けると舌を見せてはしゃいだり和やかな時間を過ごした。
そして、まるでいつもそうしていたかのように
普通に「おやすみ。」と言って電気を消した。
随分、そのスペイン人家族の消灯時間が早かったからだろうか。
その夜はなかなか寝付けなかった。
隣町からキャリーケースを担いできた風な男は
その夜だけその家族の一員になったような不思議な気分だった。
帰り際、今度は僕から掃除婦に言った。
「グラシアス。」
すかさず
「ディナーダ」
とかえってきた。
あっ、結局これじゃ練習の成果を活かせないじゃないかと思いながら
頭の中で「ディナーダ、ディナーダ」と繰り返し、ホテルを出た。
基本的には安く抑えるため泊まったホテルはすべて食事なしのドミトリー。
次のホテルもそうだった。
隣のベッドの住人が女の子を連れ込んで、朝までその喘ぎ声がひびきわたるなんて拷問部屋のような1日はあったけど、
それ以外は仲良くなった旅人たちとフラメンコを見にいったりととても充実した日々だった。
ただ、キャリーケースはいまだ修理されることも買い替えられることもなく、
それをずっと担ぎ続けてのの移動に体力は限界だった。
その日は早めに帰りベッドで寝ていると
ホテルのオーナーが差し入れを届けてくれた。
おむすびだった。
肩の力が抜けた。
すべての行き交う人がが自分をねらってるかもしれないと
殺気と陽気を使い分け軽快していた自分がすごくちっぽけに見えた。
キャリーケースがやたらと重かったのは荷物だけのせいじゃない。
きっと隣町からキャリーケースの修理にやってきた男もその中に一緒につまっていたからだ。
オーナー自らがにぎってくれたおにぎりは
ツヤッツヤに輝いていて、お米1粒1粒が体全体に染みていく感じだった。
ほんとに食べきってしまうのが惜しいくらい懐かしくてうまかった。
日本にいながら皮肉なことだけど、
僕はおむすびを食べる時いまだにそのスペインのおむすびを妄想する。