建てようしているのか
壊そうとしているのか
2011年7月 宮城県 仙台市
迷ったときは撮らない、そう決めて行った仙台。
実際、ほとんど撮ることができなかった。
この土地を知らない者がこの土地で何かを演出するような行為に
ひどく違和感を感じた。
いたるところに家や車がころがり、私道と公道の見分けもつかなかった。
どこを見ても知らない人の家を盗み見てるようでカメラをしまいかけた。
津波でどこかの倉庫から流されてきたモハ100と出会った。
傷ついた体を癒すようにそこで眠っていた。
震災後わずか4カ月ほど、モハ100の中には生命が宿っていた。
ただそこにあるものをそのまま写したいと思った。
「死」をつきつける現実も誰かが残すべき写真だと思う。
でも僕はそれよりも力強く生き抜いた「生」を撮りたいと思った。
それがすごくきれいごとであってもそれしかできなかった。
2012年6月 宮城県 荒浜
1年前は瓦礫だらけだった沿岸部はびっくりするほどきれいになっていた。
あまりにも整然としていて、かつて家があったであろう跡地も最初から家がなかったかのように見える場所も多かった。
車を走らせると美しい自然が続く。
でも、それは表面的で遠く先を見るとところどころに震災の傷跡が残っていた。
「仙台市内は沿岸部と比べると被害は少なく、
もう何もなかったかのように生活している人も多いの。
定期的におこなわれる無料の復興コンサートに
「もう、いいよ。」ってうんざりする人もいるのよ。」
「復興、復興って外から支援するだけじゃだめで
そこにいる人が中から復興できるような何かが必要なのよ。」
自分の行動もおせっかいの善意なんだろうか?
復興イベント・ボランティア活動・チャリティ。。。
複雑な気持ちがぐるぐる回る。
津波でも倒れなかった木々。
人の作った電信柱よりずっと高い木に鳥は巣を作る。
どんな動物にもより良い子孫を残しいくよう本能として遺伝子に組み込まれている。
そんな遺伝情報まで破壊されたくない。
それが意識的に考えられないようならそれはすでにもう破壊されているのかもしれない。
「シロクロはっきりつける」というコトバがある。
モノクロ写真をはじめる前は漠然とモノクロ写真はシロとクロだけで構成されていると思っていた。
でも、そこには幾層にも分かれたある意味カラフルなシロとクロがあった。
モノクロは単純に現実世界が色を失ったものではなく、
人の目にあたりまえに見える色の上に様々で複雑なトーンのシロやクロを
塗っていく作業のような気がする。
シロかクロ、
○と×、
0と1、
ONとOFF、
反対と賛成、
シンプルな2択だけの議論ではそれは戦争でしかなくなる。
「大きな音」と称されたデモの声。
それならそれで音力発電できないだろうか。とか
今年、大阪マラソンに出るのだけど、
走力発電なんてできないだろうか、とか。
そんなの笑われて一蹴されてしまうだけかもしれないけど(笑)
僕みたいな馬鹿で無関心だった人間も考えないといけない時に来てると思う。
小さな命に何の罪もない。
シロとクロ、まず両方吸収し、両方吐き出し、
自分カラーをもう一度考えたいと思う。
グレーではないカラフルなシロとクロを。