自分が産み出したデザインは人の手にわたってはじめて完成する。
それぞれの人の物語が自分の予期せぬデザインを産み出したりする。
そんなモノたちのお話。
<ハッセル画伯のカメラバッグ>
日常使いしていただいているお客様のカメラバッグ。
はじめて見せてもらった時、その傷だらけの体に驚いた。
無数についた傷はいつもさげているハッセルブラッドとバッグがこすれた跡。
革は生きている。
傷はやがてなじみ、うっすらした傷模様になっていく。
カメラがつけた傷なんて最高にかっこいい。
でも、一番うれしかったのは見方を変えれば傷物なのだろうけど、
このバッグの持ち主はこの傷が愛おしいと言われたこと。
愛しき傷物。
<ミニマムすぎるハギレの財布>
金沢から関西に遊びに来た彼とみんなでワイワイ。
次の日はお店のモノクロのワークショップにまで参加してくれるとのこと。
が、受付の時の彼の絶望感あふれる顔が忘れられない。
前日のワイワイ中に財布をなくしてしまったのだ。
どう声をかけていいのかわからなかった。
でも、せっかく遠くから笑いの街大阪にきてそんなしょんぼり顔のまま返すわけにはいかない。
大急ぎでこっそり財布を作った。
ハギレを使った、パターンもなにもなくほとんどハンドカットの財布。
おまけにちょうどモノクロ展中来場者モノクロのポラを撮っていたので、
それををスキャンしてオモチャみたいな免許書つき。
なくしたモノは帰ってこないかもしれないけど、なくした分なにか持って帰ってほしかった。
生まれてはじめて作った財布とは言えないクオリティの財布。
仕切りもマチもない決して機能的とは言えない財布。
てっきり地元に戻ってすぐ新しい財布に買い替えていると思っていたのだけど、
驚いたことに彼は今でもその財布を使ってくれている。
その財布に数年ぶりに再会した。
本当に毎日愛用してくれていたみたいで傷やシボがすっかり大人の表情で
深い深い彼色に変化していた。
<猫娘のカメラストラップ>
もともと一眼レフ用に愛用してくれていたカメラストラップ。
カメラ屋さんでハッセルブラッドを購入の際、
カメラに合わせてこのストラップをカットされてしまったみたいなのだけど、
作り手としてはあまりにも悲しい姿に。。。
どうしても直したい、いや直させて!ということで大手術を。。。
大きな穴があいてしまったところは物理的に修復が難しく、
彼女の好きな猫のモチーフを革で作ってとりつけることに。
一から作り直すことは簡単。
でも、「この革に愛着があってこの革を使っていきたいんです。」
というコトバにどうしても応えたかった。
僕自身、古い道具やカメラが好きだったりするけど、
それは単なる懐古主義的なものではなく、
そこに作り手のこだわりや使い手の物語がみえるからだ。
チャールズ皇太子はツギハギだらけになった靴を大事に使っていると聞いたことがあるけど、
リペアしても使い続けたいモノ、リペアできるように作られているモノ、
そういうモノに魅せられる。
消費文化の中で生まれた消費はそれ自体が商売になり、
ずっと使えるはずのモノが使えなくなるように作られているモノもある。
モノたちがまとう傷。
傷物と捨てられず模様や印のようになった傷。
作業中、ハサミで切った指の傷。
タトゥーのようでこの仕事で生きていくという証のような傷。
あの人が自分自身につけた傷。
死ぬためではなく、生きようとつけた傷。
傷たちが描く絵は本当に美しい。