およそ10年前、わたしは現実と夢幻による結婚の仲人をつとめました。時に衝突しながらも、彼らは愛し合ってきました。ずっと昔から、彼らはあまりにも深く結びついていて離れられずにいたし、これからも離れられるわけなんてないでしょう。彼らはまさに、二人で一人のようなものです。現実はその圧倒的な確かさと豊かさで夢幻を魅了し続けてきたし、現実は夢幻の大らかさと彼女の天真爛漫な生き方に憧れを抱き続けてきました。二人はまるで正反対の別のものであるかのように言われることがありますが、決してそうではありません。二人は彼らを包みこむもっと大きなものを共有し、一緒にそれを広げ深めてきたし、これからもそうしていくことでしょう。現実と夢幻は、すばらしく強い絆で結ばれています。だから、どうか二人を無理に喧嘩させようとしたり、別れさせようとしたりなんてしないで下さい。
現実と夢幻の結婚式は、それはそれはすばらしいものでした。美しい自由…そのときにあった出来事を言葉で表すとすれば、そんなところでしょうか。
まず、白真珠色に輝く一つの種が大地に蒔かれました。間もなく、根を下に、幹や枝葉を上や横に伸ばしながら、透きとおった水晶の樹が成長し始めました。やがて、その樹は信じ難いほど巨(おお)きくなりました。その幹の正面の、地面から数十メートルにかけてぽっかりと穴が開いており、内部の空洞への入り口になっていました。中に入ると、複雑に角ばった水晶の柱の数々で支えられた広間があり、その内壁はきらきらと輝く小さな結晶の粒で覆われています。そこが、二人の結婚式場となる礼拝堂でした。その場所に祀(まつ)られているのは、いかなる時代のいかなる地域の宗教をも包容する八百万(やおよろず)の神であり、その宗旨は「宇宙を含む世界の全体に、しかも全ての物質のあらゆる部分に限らず、全ての精神のあらゆる部分にも神、または霊が宿っている」というものでした。
その礼拝堂内は独特の気候をもっており、当日の天気は光でした。まず、光は雪のような幾何学的形状の結晶をなしてちらちらと、はらはらと降って積もり、次にはまんまるい泡の群れとなって空中をふいふいと、すいすいと漂い、その次には様々な鳥の羽根の数々となってひらひらと、ふわふわと舞う。そんな具合に、光は魅惑的に移ろっていきました。
式には現実の存在も夢幻の存在も含む、ありとあらゆるものが列席していました。人間、動物、植物、菌類、鉱物、人工物、合成物…そう、ありとあらゆるものが。厳しいような優しいような眼差しをした死者たちや、アメーバのような流動生物である闇の者たちも参列していました。彼らは現実とも夢幻とも深い関わりを築いてきたからです。
また、その礼拝堂の固有種である透明な翅(はね)を生やした花々もその場に居合わせました。蜻蛉(とんぼ)の翅をもった雛罌粟(ひなげし)や蟻の翅をもった菫(すみれ)が様々な光を浴びながら飛び回ったり、蜂の翅をもった白椿が新婦の髪に止まったり、蠅の翅をもった黄薔薇が死者の黒いマントのうえで休んだりしていたのです。
さて、肝心の結婚式の内容は決して複雑ではなく、原始的と言えるようなものでした。ゆっくりとした入退場や無粋な挨拶など抜きで、それ自体が祝福であり、祈りでもある歌と踊りのみが行われたのです。早速、かっちりとした三つ揃いの白いスーツを着た現実と、自由自在にたゆたう柔らかな襞のある、刻一刻と色の変化するドレスを着た夢幻が踊り始めました。彼らは情熱的かつ優雅に、手を取り合って溶け合って混ざり合い、回転しながら次第にその速度を上げていきました。そうして、二人はやがて白と様々な色とが美しい縞模様を成す、巨大な鳥のそれを思わせる一つの卵になるのでした。
花嫁花婿の踊りと並行して、会場では多様な組み合わせによる踊りが行われていました。獣と樹木が、鉱物と爬虫類が、魚と茸(きのこ)が、彫像と竜が…そのような二人、もしくはさらに多人数で踊るものたちで溢れる堂内は、悦びで満ち満ちていました。もちろん、死者たちや闇の者たちも歌い、踊っていました。彼らの踊りは誰もがうっとりとするほど見事で、他のみんなが彼らと一緒に踊ることで、悦びの濃密さはより一層高まるのでした。新郎新婦と同じように、堂内の他の者たちも手を取り合って溶け合って混ざり合い、回転しながら次第にその速度を上げ、やがて卵に変身しました。白や薄茶や桃や青一色の、あるいは色んな斑(ぶち)模様のついた殻のある卵。球形をした、つやつやもちもちとして透明な卵。細やかな泡立ちで出来た卵や、縮れた綿でほわほわと包まれた卵。細長い、あるいは真ん丸い小さな粒が密集した卵。会場が鎮まると、そんなたくさんの卵たちが床や椅子の上に乗ったり、壁や柱にくっ付いたりしていました。
続いて、それら全ての卵たちが体を震わせて祝福の大合唱を始めました。その歌がたくさんの色を移ろわせる彩雲となって堂内に行きわたり、その雲の中では様々に輝く星ぼしが生成されるのでした。そのうちに、光の天気が終わり、堂内は夜に変わっていきました。そして、暗闇が深まるにつれ、彩雲の色彩と星ぼしの瞬きが美しく際立っていきました。
祝福の歌声がますます高まって厚みを増すと、卵たちは次々に割れ、礼拝堂の全体は震えて揺らぎました。ついには、卵の殻や膜も、礼拝堂の入った水晶の巨樹も、ガラスが粉々になるように煌めきながら崩れ落ち、夜のなかへ霧散していきました。それによって生まれた全ての卵の中身は姿が無く、それでいて全存在の元でもある赤ん坊でした。礼拝堂から解放された歌声の彩雲とそれの生み出した星ぼしは、うねるような、渦巻くような流れを成し、現実と夢幻の赤ん坊たちを運んで全方位へ拡がっていくのでした。
わたしはそのあと、現実と夢幻の赤ん坊たちがどこへ行ったかを知っています。彼らは人間、動物、植物、菌類はもちろん、鉱物、人工物、液体、気体、夢幻や想像上の存在までも含む全てのものの全身全霊(それらの全てに霊が宿っていないなんて誰に断言できるでしょうか?)に行きわたったに違いありません。「その赤ん坊たちは目に映らないどころか五感の全てをもってしても確実に捉えることができないから、そんな断言はするべきじゃない」と言われるかも知れません。しかし、わたしはそれらと同じくらい、あるいはそれ以上に信頼のおける第六感によって、その事実を確信しているのです。
現実と夢幻の結婚とその子供たちの誕生を経て、わたしは世界がますます開かれ、生活に新たな力が加わったことを実感してきました。今や、その子供たちは大きく豊かになったと思えますが、これからもわたしが一人きりで、時に誰かと協力しながらそれを育て続けることによって、さらなる成長を遂げるでしょう。しかも、その成長には底の知れない、そして想像の尽かない広さと深みとを備える可能性があるに違いないのです。それを想うと、未だに瑞々しい予感と希望とがわたしのうちから湧き上がって来ます。
あなたを訪れる現実と夢幻の子供たちはどんな姿をしていますか?光のようでしょうか、水のようでしょうか。風のようでしょうか、山の、炎の、あるいは闇のようでしょうか。恐らく、それらの全てであり、さらに多くを含むものなのでしょう。そして、それは往々にして、神とも言える存在や最愛の存在と言える、すばらしい訪れや現れになるとお察しします。
わたしは現実と夢幻の結婚がもたらした多くの幸福を知っています。反対に、彼らの不和がもたらした悲惨の数々も(その最たるものが想像力に欠けた、あの愚かしい戦争でしょう)。彼らはすばらしく多産で、これまでに生まれた子供の数はとても数え尽くせるものではありません。正直に打ち明けると、この手記もまた、そんな愛に満ちた結婚による産物であるかも知れないのです。いや、精確に言えば、そうであって欲しいと強く願ってやまないのです。