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2F/当番ノート

下北沢の踏切、それから

当番ノート 第10期

今年の三月、小田急線下北沢の駅が地下化した。
その前の週には東横線の渋谷駅も地下化していたから、鉄道ファンの方々は奔走したことだろう。
そろそろコートを脱いでもいいかな、という早春の候から、連日35度を記録する夏の盛りへ。気付けばもう五カ月が経とうとしている。

下北沢、正確に言うと世田谷代田と東北沢を含む三つの駅が地下化する。その話を聞いたのは高校生の頃だ。下北沢はその頃から僕たちの遊び場で、高校の友達と南口・北口を問わず遊びまくった。と言ってもそこは高校生、カラオケとかマクドナルドでだらだらするとか、どの街でもできるんじゃないの、という類の遊びも多かったけれど。
今僕たちが歩いている地面の下を、太いトンネルが貫こうとしている。そう考えるのはなんとも言い難い不思議な感覚で、でも平然とした顔でメトロに乗ったり、地下街を歩いたりしている自分もいて、もっと不思議な感覚になったりした。

「開かずの踏切が解消されます!」
8ビット風のデザインで、大きくそう書かれた看板。施工完了予定は2013年の春。
それは五年、六年先の出来事だったから、なんだか現実味がなかった。あまりにその頃の未来が想像できないものだから、マヤ文明の2012年人類滅亡説をちょっと信じていたほどだ。本当にちょっとだけど。
でも、誰もが知る通り人類は滅亡なんかせず、2013年になり、春になった。
いよいよ下北の駅が地下化する。その正確な日程が駅構内に掲示されたのは、たしか今年の一月末。なんというか、それはとてもあっけなかった。
いつか地下化する。それは覚えていたけれど、いざ「二ヶ月後だよ」と言われると、胸からすっと、何かがさらわれた気分になる。留まることなく流れていた時間と、杭を打つことなく生きてきた自分を思い知る。

うまく言えずもどかしいのだけど、あの開かずの踏切がなくなった時、あれは下北沢の時計だったのだと思った。
開かない踏切を、たとえ苛々しながらでも待ち、なんとなく空とか見上げてしまう時間があることが、下北沢という街を緩やかに守っていたのだと。
僕は下北が好きだけど、下北に住んでいるわけではないから、そうやって象徴化できるのかもしれない。忙殺される生活のすぐそばで、あの踏切を肯定できたかどうかはわからない。
でも、そういう時間が多分、路地裏の風景にも流れていたのだ。あの一帯を守っていたのは、効率や、整列とは違うものたちだ。それが下北という街の大きな魅力で、踏切は僕にとってランドマークだった。

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具体的には小田急線の地下化と下北沢の再開発は重なりながらも別々の問題で、また通説となっている下北沢=演劇・サブカルの街というイメージも意外と歴史が浅く、それ以前から住んでいる住人からは「そんなもの消えてしまっても構わない」という意見もある、という。
はじめて触れた時からそのイメージが定着していた人間からすれば驚く話だ。でも、そういう話は探せばいくらでもある。街興しを図った地方の観光地や、最近の話で言えばスカイツリーの建設計画にも多くの意見が飛び交っただろう。変化した街を否定しながら、そこに住み続けている人もいる。イメージの話とは少し違うけれど、原発だってそうかもしれない。

街は誰のものか、という話になれば、それは一生かかっても答えを出せる問題じゃない。みんなが思い思いに糸を巻き付けて、引っ張り合うことで動いていくもの。束ね足りない糸はぶちぶちと裂かれて、そうして街は進んでいく。
新しい糸が必要だ。再開発反対を望むなら、僕たちも声をあげる時だ。数十年前の下北の住人が、演劇の街になることを嫌ったように。複雑すぎる地層の上で、それでも引き寄せたいと思うなら。

踏切がなくなって五カ月ほどになる。
旧ホームはもはや完全に取り壊された。
地下化した駅舎は周囲の反応を見る限り、好評とは言い難い。幅員の狭いホームやわかりにくい通路には常に警備の方々が立っていて、なんだかなあ、という感じ。まあ、今の駅舎はまだ仮の状態なので、そこに文句を言ったって仕方がない。個人的には今のコンクリート打ちっぱなしの雰囲気は嫌いではない。でもただ打ちっぱなしでは殺風景だし、せっかくアーティスト志望の若者も多いんだから壁への落書きを全面的に認めちゃえばいいじゃん、黙認でもいいから、なんて思ったりする。治安はめちゃくちゃ悪くなるだろうけど笑。
新しい駅舎が完成するのは2017年の予定。今から四年後のことだ。僕はその時25歳か。なにしてんだろうか。今下北沢を愛している人たちは、その時どこにいるんだろうか。

僕が高校生だった頃の下北沢は、今よりもっと古本屋や、中古のCDショップなんかが多かった。あの頃ひとりで足しげく通ったお店、行ってみたかったけれど当時は気遅れしてしまって入れなかったお店。そういう店が、今はもうなくなってしまった。跡地にはどこにでもあるチェーン店ができていたりして、そういう時は少し気持ちが沈む。だけどそれだけではなくて、新しい、良い気分になれるお店もちゃんと生まれている。下北沢の風土に合っている(と僕なりに思う)お店もたくさんできている。下北沢をぶらつく機会は昔に比べて減ったけれど、良いと思うお店はなくなる前に行かないと、覚えておかないと、と思う。

終電間際の駅、改札の辺りで若者たちが長々とさようならを交わす。井の頭線で帰る者と小田急線で帰る者が分かれるところなんだろう。その光景は今の駅舎も昔の駅舎も変わっていない。時にそれが通行の妨げになってしまっているのも変わらない。週末には前後不覚の酒飲みがいて、時おり陶酔の激しい恋人たちの姿があるのも変わらない。
2017年の下北沢も、そうであればいいと思う。

なくなってからでは遅いのだ。
梅が丘を過ぎて世田谷代田へ向かう途中、小田急線の車体が僅かに傾き地下へと潜る。
その傾きは、並走するふたつの時間軸を想起させる。
傾いて地下へと潜る電車と、そのまままっすぐ走る電車と。まっすぐ走る電車のなかで僕は、ホームは恐ろしく暑いんだろうな、と思う。前方で電車が渋滞していてやけにのろのろ進んでいる。駅の近くには青色のアパートがあって、どんな人が住んでるんだろう、といつも思う。外からは遮断機のカンカンという音が聞こえている。
そんな風景を僕は覚えている。もう失われてしまった風景。実際にはまっすぐ走る電車はもうなくて、僕は車内と変わらない気温のホームに降り立つ。遮断機の音のかわりに警備員の声が響く。

失うことと無かったことになるのは違う。だから僕が覚えていればいいと、そう思う気持ちもある。
だけどそんな個人的な記憶で完結して、満足するのはまだ見送ろう。この街に流れる時間に慰められる誰かが、これからもきっといるはずだから。
大好きな風景が残る未来。それを探している。

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小沼 理

小沼 理

1992年富山県出身、東京都在住。編集者/ライター。

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