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2F/当番ノート

旅と愛について

当番ノート 第10期

恋人と沖縄へ行った。

行く前はなんだか不思議な気分だった。
僕たちはまだ付き合って三カ月ほどの間柄だし、恋人と旅行をするという体験が、僕にはそもそもはじめてだったからだ。馬鹿みたいに浮かれていいような、これは実は何か決定的なことなんじゃないかと切なくなるような、そんな感じ。

思い返せば僕は恋人と行くとか以前に旅行というものをあまりしたことがない。父が出不精であったからなのか家族旅行にも縁がないし、大学ではフジロッカーになってしまったので稼いだお金は苗場の三日間に消えた。高校の時には何度か旅行をしたけれど、それでも決して多い方ではないと思う。
いや、書いていて思ったけれど、回数とかはあまり関係ないのかもしれない。というか、案外旅行してるんじゃないか、俺?とさえ思った(全部国内だけど)。多分僕は旅行や旅というものになにか遠いあこがれのようなものを抱いていて、それがいつも掴めそうで掴めないことに気を取られているのだ。
手にした体験は間違いなくきらきらしているけれど、それとは別に、旅というものそれ自体の輪郭を夢見ているのだと思う。世に出回る素晴らしい冒険譚や逃避行にあてられているのかもしれない。もしかすると、それは数多のバックパッカーが見ているのと同じ夢だったりするんだろうか。
まあとにかく、「旅というもの」について納得のいく全貌にはなかなか至らないが、それでも僕には心に焼き付けた風景がいくつもある。長崎へ行った時「一本足鳥居」という半分が原爆で吹き飛ばされて半分が残った鳥居があって、その根もとでたくさんの小学生が遊んでいるのを見た時に、焼き払われた土地の記憶や再生の歴史がぐんと胸に迫ってきたこと。冬の京都で(直前に三島由紀夫を読んでいたせいで)雪の降る金閣寺を見たかったけれど、その日は曇るだけ曇ってちらとも雪が降らず、友達と残念がったこと。だけど今思い返すと記憶の中ではしんしんと雪が降っていること。福島にいる中学の恩師に会いに行く途中で見た、汚染土が詰まった銀色の袋が並ぶグラウンド。

そういう風景に出会った時、旅の輪郭はそのほんのひとすじを光らせて、僕になにかを知らせる。たった今目にしたばかりの時間の流れもこれまでに出会った美しさも、すべて束ねて駆けたくなる。誰かと話したくなる。生きていようと思わせる。

今回の沖縄も、そういうものだったように思う。
僕はこれまで沖縄のことを「大自然に囲まれた南の楽園」なのだと思っていたけど、観光地の寂しさが微かに通う時があって、くだらない罪悪感が胸をよぎったこと。沖縄訛りのきついタクシー運転手が教えてくれた、沖縄で一番高い山の話。桟橋で見た夕暮れ、跳ねる魚の群れ、本当に真っ暗な夜と今まで見たなかで一番素晴らしかった星空。流れ星。調べて行ったわけではないのに、ちょうどその頃は新月だったという偶然も良かった。ああいう途轍もない星空の記憶は、曇りの日でも、街の灯りで見えない時も、心を明るくする。
最初の二日間続けて恋人との仲が険悪になる夢を見たこと、なんとなくいつも誰かに見守られているような気がしていたこと。行きの飛行機で見た沖縄の海を綺麗だと思ったように、帰りの飛行機から見た東京の夜景も綺麗だったこと。そして今までになく長い時間を共にしたことで、二人の関係が頑丈になったこと。

行く前に感じていた、この旅が決定的な何かになるという切ない予感は当たらなかった。むしろ僕たちは切なさなど感じる暇もなくふざけあっていた。本当に馬鹿なことで笑ってばかりいたから、珍しい鳥や蝶を実は見逃してたんじゃないかと今さら少し反省する(後悔ではない)。
この旅行で僕たちはためらいなく水鉄砲を撃つような愛し方と、描きっぱなしの絵を額にいれるような愛し方の両方について、知らず知らずのうちに学んでいた。その学びは健やかな、少しの振れに不安になることのない大らかな日々を支えるのではないかと思う。

とはいえ、まだ東京に帰ってきてから一度も会っていないからこれは憶測や願望の域を出ない。次に会った時にも目に見えてわかる変化は少ないだろう。多分それの本質はそういうものではなく、各々の胸中に起こること、また例えば船と岸をつなぐ鎖のようなもので、普段は弛んでいるけれど、なにかの弾みで離れてしまった時に繋ぎとめるようなものである気がする。

今回の沖縄旅行は三泊四日で、短くない滞在だったけれどもやはりやり残したことはある。行けなかった場所もある。
そういうことや場所をふたりで数えながら、じゃあ五年後にまた来よう、などと気の長い話を口にしてしまう僕はあほで、そして幸せ者なのだと思う。

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小沼 理

小沼 理

1992年富山県出身、東京都在住。編集者/ライター。

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