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2F/当番ノート

(I don’t)Go West

当番ノート 第10期

“Go West”という曲がある。
1977年にニューヨークで結成されたディスコグループVillage Peopleのヒット曲。キャッチーな耳に残る曲で、おそらく誰でも一度は聴いたことがあるだろう。1993年にはPet Shop Boysによってカバーされていて、そっちの方が馴染み深いという人も多いのかもしれない。

Go West――西へ行こう、というこの曲のタイトルには幾つかの意味合いがあるという。
19世紀のアメリカにおける西部開拓をうたったものだというのがまずひとつ。当時今以上に抑圧されていたゲイたちが同性愛に寛容な街、サンフランシスコを目指すというのがふたつめ。Village Peopleは(過剰なほどの笑)ゲイアピールをひとつのセールスポイントとしていたし、Pet Shop Boysのボーカルを務めるニールもゲイであることをこの曲のリリース後にカミングアウトする。
みっつめはPet Shop Boysがカバーした際のPVで新たに取り入れられた観点で、91年に崩壊したソビエト連邦に着想を得、社会主義リアリズムを皮肉った、というもの。

今年の6月30日、ロシアで「同性愛プロパガンダ禁止法」が成立した。
これはロシア国内での同性愛を肯定する表現を禁止するもので、公の場で同性愛者の人権を訴えたり、同性同士で手をつないだりすると、国から罰が与えられる。
これは国民に限らず外国人旅行者にも適用されるそうで、国内で上記のような活動をすると罰則や国外退去になる。
レディガガやフィギュアスケート選手のジョニー・ウィアー、同性婚をはじめて支持したアメリカのオバマ大統領らがこれを非難する一方、ロシア政府の決定は固い。
この問題は来年ソチで開催される冬季オリンピックのボイコットという運動に飛躍し、政府はつい先日「オリンピック期間中の選手、観戦者は適用外」という声明を発表した。でも、それは政府の建前だ。国民が素直に従うとは限らない。あと、その期間だけ許されるというのも変な感じだ。
以前からロシアではホモフォビア(同性愛者への偏見)が根強かったようだけれど、法律がそれを助長する方向に傾いた以上、今後はさらなる悪化が見込まれるだろう。そこで生きる人々の絶望を思うとやりきれない。

僕には今男性の恋人がいる。
もしここがロシアなら僕は犯罪者だ。同時に偏見の対象だから、こんな風には公言できないと思うし、街を歩く時には誰かから殴られる危険がつきまとうかもしれない。
そういう立場に立たされている人が実際にいるのだ。今回はロシアを取り上げたけれど、イスラム教圏では同性愛者が死刑になる国も多い。キリスト教では地域と宗派によって様々だけれど、同性愛が罪になる国は珍しくない。

宗教や環境のことは部外者にはとやかく言いにくいものだ。染みついた価値観というのはなかなか抗いがたい。そうしたものに沿って起きる好きとか嫌いとか、認めるとか許さないとかいう感情は、たとえ理論的に言語化しても感覚から剥がれるわけではない。
好き嫌いの理由はたいてい後付けじみているものだ。僕たちが理論じゃなく感覚で人を好きになるのと同じように、ホモフォビアの人たちも僕を嫌悪するだけなのだと思う。
だから同性愛はこうだから異常とか、ホモフォビアはここが間違ってるとかを聞くのも好きじゃない。感覚を補強する飾りみたいに感じる。

話を日本へ向ける。
日本で生まれ、日本で育った僕は、今のところゲイであることでとんでもない偏見や悪意に直にさらされたことがない(これが公開されることでそうなるかもしれないけど笑)。
もちろん、言う人を選んでいるというのもある。趣味や好きな食べ物について話すように、男が好きだとはなかなか言えない。でも、日本には同性愛を悪と決め付ける慣習も、そういう人もいるものだというしっかりした教育もないから、偏見とか悪意を持つ以前に、そもそも認識が漠然とした人が多いように思う。僕がこれまで出会った人は、同性愛をテーマとした映画などを見ればきちんと感動するけれど、飲みの席などでは同性愛をネタにしたジョークで笑う、という人が多かった。
実際、ゲイあるいはオカマのテレビタレントの多くがバラエティ番組で愉快な役回りを演じているから、笑いにしやすい印象もあるだろうし、それにそれは「金髪巨乳は馬鹿」みたいな俗説と同レベルのジョークではっきりとした悪意はないと思うのだけど。でも、そういうことにいちいちナイーブになってしまうことがあるのも事実だ。
要するにみんな現実味がないのかな、と思う。作り物を扱うような感じ。そういう人に僕はゲイだよ、と突然言ってみると、自分には偏見はないと主張しながらお化けにでも会ったみたくしどろもどろになるから、少し疲れる。だけどだいたいはその後も変わらない関係を築いてくれるし、その人がもし次にゲイと出会った時にそういう変な驚き方をしなくなるなら良いかな、とも思う。
ただ、僕は未だに会ったことがないけど絶対にゲイを認めないという人やグループもあるだろうから、やっぱり言う時は慎重に。会うたびからかってくるようになった人もいるにはいるし(本人はコミュニケーションと思ってやっているから、うまく返せない僕も僕なんだけど、、)。

ゲイであることはやはり言えそうな時だけでも言っていかないと何も変わらないと思う。ただ基本はそれ以外の部分で仲を深めていく、というか、人と人としての付き合いの中で性的嗜好はパーソナリティの一部であってそれ以上でも以下でもない、と思ってもらう機会を重ねることが、一番おだやかな社会の変え方なんじゃないかと思う。

ロシアのような動きがある一方で、取り組みが実を結び始めた国々もある。今年、初夏のフランスでは初の男性同士の結婚式が執り行われ、四月にはニュージーランドがアジア太平洋地域で初めて同性婚を法的に認めた。

そういう国に移住して結婚を、自由な生活を、という人もいるそうだ。かっこいい選択だと思う。そういうことを考えたことはあるか、と聞かれたこともある。でも、僕は政治にうんざりすることも多いけど結局まだ日本が好きで、ここにいる友人たちが好きで暮らしているから、そういう生活はひとまず選ばない。日本では達成し得ない目標というのも、今の自分にはないし。
それに、同性婚が認められた国に行ったからといって、その国の全員から祝福されるわけではないだろう。反対意見や嫌悪感を抱いている人がいなくなったわけではない。それでももちろん生きやすくはなるんだろうけど、それは日本にも期待して良いことだと思っている。

思い入れのある場所で自由に暮らしたいと思うことを、誰も否定はできないはずだ。
日本が今以上に同性愛に寛容になることを期待している。そして現在抑圧されている人々が、あらゆる場所で自由になれることを願う。

小沼 理

小沼 理

1992年富山県出身、東京都在住。編集者/ライター。

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