暦の上では間もなく16月を迎えようとしている
「その土地では1年の節目に雨が立ち昇り
大地と空とを繫ぐ」
彼は遠い昔に刻まれた記憶を思い出しながら
砂漠を歩いていた
砂漠では砂混じりの強い風が時折吹き
その度にうずくまってじっとやり過ごしたが
吹き付ける砂が彼の体を徐々に傷めていった
彼は乾いていた
頭の中にある地図では
その土地まで歩いてあと3日というところだった
砂地に緑や潅木が混じるようになり
揺るぎない地平線にはリズムが生まれていた
その土地に近づくにつれ
月はふくらんだ
陽向草もみな太陽にそっぽを向き
月の方へ体を傾けている
風が濡れている
足を引きずりながら彼は進んだ
もう間もなく・・・
と突然
眼前で雨が立ち昇り始めた
か細い水の糸が空を目指して一斉に伸びていく
絡めとられたように無数のコリオたちも空に昇っていった
糸は空を突き抜けてさらに伸びていくようだ
どうやら月を目指しているらしかった
ひとところから伸びていく数多の雨の糸は
巨大な花の開花を思わせた
数刻の間それは続いたが
彼がそこへたどり着いた時には
全てが終わっていた
頭の中の暦がちょうど16月を迎えたところだった
彼は初めて目にするその現象に興味を持った
そして糸を握りしめて旅立つコリオたちにも
長い旅の果て
歩くことが困難になっていた彼は
今度はその土地の中心で
雨を見たいと思った
彼の過ごしてきた日々に比べれば
1年はさほど長い時間ではなかった
変わらず孤独だったが
砂漠と比べると
時の蝕みは緩やかなものだった
明くる年
再びその時が近づいて来た
彼方に見えた月が大きさを増すにつれ
風に潤いが生まれた
月はやがて真上に来ると地上を覗き込んだ
切り立った崖
ごつごつとした岩肌
決して豊かとは言えない緑の大地
そこかしこから水滴が滲みだし
雨となって月を目指した
どこからか現れたコリオたちは
思い思いに月への片道切符を手にして旅立っていった
彼はコリオに語りかけた
「なぜ・・・」
コリオは何かを伝えようとしたが
彼には理解できなかった
月がその場を離れ始め
彼は一人取り残された
その翌年も
そのまた翌年も
彼はそこに留まり雨の行く先を追った
月の姿は毎年変わらない
どんなに雨が月へ立ち昇っても
いつだって乾いている
彼もまた乾き続けていた
いつしか彼は月にシンパシーを感じ始めていた
彼の頭の中の辞書によれば
その月に対する思いは
友人という存在に抱くものに似ているらしい
彼は1年に1度の月との邂逅を楽しみにするようになった
毎年旅立っていくコリオに対して
何とか自分の気持ちを月に届けてもらいたいと願った
それは彼の目の機能が失われても続いた
その時が近づくと
匂いで風を感じ
肌で雨を知る
彼がそこにたどり着いてから既に数百年が経過していた
彼の中では月の姿は変わらぬものだったが
実際の月は年々青みを帯びるようになっていた
その土地で過ごす時間が旅をしてきた時間を超えた頃
彼の中の時を刻む機能は停止した
視覚以外の感覚を伝える機能も既に失われていた
だが彼は安らかな気持ちだった
何か自分のこの気持ちを例えるものはないかと頭の中の辞書を探ろうとしたが
その機能も失われて久しかった
彼の体は時間によって緩やかに浸食され
体は錆び
腐食し
胸には大きな穴が空いていた
間もなく
彼は永い眠りについた
その日
青い月から初めて
雨が降り注いだ
それ以来
月はひとところに留まり
地上を見守り続けている
雨は立ち昇るものから降るものに変わった
水の花はもう二度と咲かない
豊かに生まれ変わった土地には
花が咲き乱れ
蝶が舞い
コリオが踊る
ひな鳥たちの鳴き声が聞こえてくると
二羽のつがいが
苔むした巨大な遺跡の穴の中へ還っていった
そう
かつて彼と呼ばれていた者の胸の中へと