描くことは耕すことに似ている。わたしの脳の中の畑。翻って、読むことは、体を使って歩くことに似ているかもしれない。だれかの作った庭園。道のカーブ、植物の配置、木立の陰、遠くに見える四阿へ期待を馳せながら歩く。迷子になることは、新しい地図を作ること。同じところへ行くつもりで、ちがう道へ出てしまうこともある。設計ミスによって、見えているのに、噴水に辿り着けないこともあるだろう。
そぞろ歩くのに、最短距離を選ぶという合理性は、最早まちがいだ。
ところで、母は最短距離が大好きだ。実際、若い頃足も速かった。ゴールに向かって、速く最短距離を走る。わたしは遅く、マラソンの方が順位が良い。景色を見ている。それなのに、子であるわたしは、最短距離を取れることが何かのゴールだと信じていた。
彼女が何となくぼんやり願っていたドリームジャンボ宝くじのようなもの。わたしという名目がある。しかし、わたしでない。晴れの日、母としてのドリーム状の霧がもあもあと漂ってきて、操り人形のようにがんばって成立する行事もろもろ。母は、わたしを誇りにしたいが、わたしを見ているわけではない。
このドリームジャンボを巡って、わたしたちは、密かに衝突していた。正面は切れなかったが。喧嘩の理由の八割がドリームジャンボの外れである。母の思い通りに行かない。母というより、ドリームジャンボを握りしめるのは娘さんなので、娘さんから攻撃される。しかし、どんな娘さんなのか、気付いて日が浅く全貌がわからない。
母はかなり上手に化粧をしていたのだが、あるとき、壊れた状態になった妹があっさりと曝いてしまった。曝くなんて技巧はなく、怒りでパンパンにはち切れて、妹以外の家族全員がただボンヤリする。荒れ狂う彼女にひたすら振り回される。犯人捜しは全く役に立たない。犯人がいるとして、モノではないから、幽霊みたいなものだ。幽霊と決闘するのは、意味がないから、幽霊のちからが弱まるのを待つしかない。
母のお化粧、わたしはそれを好きだったし、母だと思い受け入れていた。母のお化粧には、何より「万事上手く行っている」と思わせる力があった。でも、壊れてしまった妹は、ナイフのように鋭く容赦なくはぎ取ったのである。わたしには、感じていても、絶対に口にできなかった言葉だ。
おかあさんはわたしをゴミ箱にする。
かつて家庭内で揉め事あると、父は、難解なことに言い換えて素早く相手を煙に巻く。へ理屈である。皆分からないから、へ理屈がリクツとして通っていたが、父のへ理屈さえ吹き飛ばす勢いを持っていた。妹は、泣きながらそれを言って、わたしもとうとう否定できなくなった。病を乗り越えるのは、本当に本当に大変で、けれども、妹の病に救われた部分がある。
思い起こせば、母は、母の娘であることを強く求め、その人らしいことを好まなかった。品がないとか、いやらしいとか、曖昧な貶し方で、不足分の努力を責めた。口癖は、わたしならもっと上手くやる。わたしたちは、母から生まれ育てられても、母のようになれない。
妹は、回復すると同時に、その鋭さも手放した。生活とは、適度な鈍感さや妥協が混ざって、眩しいような不安をドリームジャンボに託さなくても良くなる。緩やか回復。「母」という概念が一度解体される頃、わたしの着飾った、言い訳の鎧も白日に晒されなくてはならないだろう。
この件について、母は、結局反省をしなかった。娘であるわたしは、自分の(買ったと思った)ドリームジャンボにかまけたことを後悔して欲しかったが、その素振りをみせると、例の娘さんが登場する。スタコラさっさと逃げて行く。母になる前の、ひとりのエゴを持ったただの娘さん、それが見えたら、乗り遅れたバスと同様に追いかけてはいけない。
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二ヶ月間、お付き合いいただき、大変ありがとうございました。えほん教室の恩師より「自分を見つめる」というお題を貰っていて、そのことと向き合うべく、アップルパイの魔女を描き始めました。魔女は、憎たらしいところもあるけれど、どうしても可愛げを探したかった。正体探し(思春期の)には、ふかい意味が求められ過ぎますが、鈴木志保さんの「ちびっき」で描かれたような世界の果てが好きです。白いわんこが自らの尾を追ってクルクル回り続ける、その様を明かすチビ(十円玉二個分の大きさの妖精)が、なんともチャーミングに大騒ぎします。世界の果て(虚無)も、そんなに寂しくないという不思議さがありました。
可笑しなリンゴを白い烏が運んで、完結出来なかった部分は、ブログ*詩人ワニで続けます。お時間ありましたらまたぜひお寄り下さい。