僕は魚釣りが好きで海や川へよく出かける。
ジリジリと肌を焼き、あちこち虫に刺されながら刻々と変化する潮や風を読み、
朝早くから夜遅くまで水辺に立つ。
そんな釣り人の心理は単純なもので、遠くのポイントには手前よりも大きな、そしてたくさんの魚がいるように錯覚する。
全力で投げて、巻きとり、少しでも遠くのポイントを狙う。
そのほとんどは空振りとなってルアーだけがするすると返ってくるのだけど、
小刻みに震えながら迷いなく竿先に戻ってくるその姿は、時にかわいらしくも思えるのだった。
シャンプーを売っているということしか知らなかった、その「知り合い」との距離も糸が巻き取られるように近づいていった。
友達の働いているカフェ、表現力豊かな店員がいる香水屋さん、
郊外にできた新しいタイ料理のお店なんかにも何かに理由をつけて一緒にでかけた。
お互いの持っているカードを順番に切っていき、共有する。という時間。
今も、過去も、これからのことも。
一枚ずつテーブルの上に並べて話をした。
その空気は海からあがったあとに残るフワフワ浮く感じと、
耳に残った水がボワンと響く夏休みの心地よさとよく似ていた。
そして、時間はいつも限られていて、始まってしまうとすぐに終わってしまうところもそれに近かった。
何回か会ったあと、温かいカフェオレとトーストを一緒に食べるようになるまで1ヶ月もかからなかったように思う。
「知り合い」改め「恋人」は1枚。僕はあいかわらず2枚で、ジャムはいつもより1つか2つ種類が多くなっていた。
恋人が僕の部屋で過ごすようになる前、家の中で動くのは僕だけだった。
正確には暖かくなってくると出てくる小さいクモの「タジマさん(と勝手に呼んでいる。)」と僕だけで、
部屋の空気はいつも「スン」として、冷たく澄んでいた。
部屋は自分だけしか知りえない、いい変えれば閉ざされた自分の内側へ帰れる場所で、そういう場所も、そういう場所を持っている自分も、とても好ましいことだと思えた。
そこに誰かが加わることで、温度や匂いが重なり、その場所が変化してしまうことは少し怖かったけど、雪が溶け、草木が芽吹き、季節が加速する。
そういうふうな変化だったんだと今は感じている。