今年のお米はどうかな?
草みたいな味になってないかな?
水分量はたっぷりあるかな?
米粒が、大きいかな? 小さいかな?
新米を、食す。
これもまた、ドキドキします。
風味はいいかな? 弾力はあるかな? 割れ米はないかな?
毎年、最初の一口を食べる瞬間は、緊張します。
それが、これまでの田んぼ仕事の成果、すべてだから。
このお米を売りながら、一年間、家族が生活できるかどうか、かかっているから。
夏の余韻が残る、秋のはじまり。九月は、まだまだ陽射しが強くて暑い。
次々とやってくる台風と競うように、稲刈りが一ヶ月ほど続きます。
家族はヘトヘト。わたしもヨレヨレ。
もう無理だー。からだが全然動かないと泣きごと言う頃、やっとすべて刈り終えます。
休む間もなく、今度は怒濤の出荷ラッシュ。
新米を楽しみに待ってくれてたみなさんへ、お米をお届けする準備。
全速力の日々も一段落、ほっとひと息つけた…とおもったら、
もう来年の農作業に向けての土づくり開始。
旦那はトラクターで田んぼをかき混ぜはじめます。
かき混ぜることで、田んぼの土の中の微生物を元気にして、すきこんだ藁を発酵させ、
ひと冬かけて、土の肥料・栄養に変えるために。
ちょうどその頃、田んぼに、あるものが復活しているのです。
毎年、その姿を見ると、ハッとさせられる。
稲刈りは終わったのに、なぜまた青々と葉が茂り、お米が実っているのか。
不思議でしょう。
黄金色に完熟し、刈り取り、枯れ色になってた稲の切り株から、
ひと月ほどで、こうしてふたたび、自然に芽吹くのです。
肥料も水もなくても、土に眠る栄養と水分、
そして、自分の生命力だけで再生したこの実は、
稲孫(ひつじ)と呼ばれています。
稲孫が茂り、風にゆれる、秋の田んぼ、これまた美しい。
よーくみると、お米の白い花も咲いているのですよ。
ありったけの力で、次の命につなごうとしてる。
この生命力こそ、お米。
稲刈りして、収穫したお米の1/100は、籾のまま眠り、また来年のお米の種になるのです。
自然のなか、なんと見事な循環。
米粒には、時間を経てもなお、命をつなぐための栄養が詰まっていて、
こんなに強靭な生命力をもっている。
もの言わぬ、証しです。
そして、米づくりは、この連載の初回に戻る。
種まき。草とり。実り。収穫。そして…。
農をいとなむ人がいる限り、季節の巡りとともに、永遠に続く。
朝・昼・夜。
毎日、人は何かを食べる。
食べることで、自分という生きものの命を、つなぐ。
私たちは、食べ物から、命をいただいている。
ごはんは、たのしい。
ごはんは、おいしい。
これからは、食が、もっともっと複雑な時代になる。
なにを、どう、たべるか、選んでほしい。
食べたものが、あなたの細胞をつくり、あなたの環境をつくるのだから。
・・・・・・・・
この連載も、今回で最後になりました。
ここまで読んでくださったことに、心からの感謝を。
あなたが、日々、たべてる「お米」のこと。
すこし、知ってもらえたなら、さいわいです。
では、また、どこかで。