世界の片隅の扉の向こうに、その町があり、その雨が降る。
”雨粒砂絵画廊”
住所:ツバメ町 海辺
ツバメ町は扉の中の町ゆえか、あるいは町の太陽が人工物だからか、雨量は少ない。そんなツバメ町の居住区を抜けた先、町の北部に、海が広がっている。その広さを知るのは鳥だけ、深さを知るのは魚と鯨だけだという。
砂浜の脇のほうには二十段の小さな階段があるのだが、白いブロックを積み重ねた簡素な階段だけが剥き出しになっており、壁も天井もなく、そして階段の先はどこにも繋がっていない。階段が、すっと、ただ天に向かって控えめに存在している様はなにやら意味ありげだが、雨の日の少ないというツバメ町でもしも雨降りに遭ってしまっても、運が悪いと嘆かず、この階段に上ってみよう。人ひとり立つとそれだけでいっぱいになる階段のてっぺんからは、これまた砂浜に横たえる形でぽつりと設置された、一メートル四方ほどの大きさの額縁を眼下に見下ろすことができる。木製の額縁の中には黒いシートが敷かれているのみで、一見するとシュールなオブジェのようでもあるが、実はこれは雨の日だけの無人のミュージアムだ。
白い砂浜が桃の産毛のような雨を吸い、柔らかな子ネズミ色のグレーに染まっていく中、額縁の黒いシートの上にも雨が降り注ぐ。途端に額縁の中では雨はころころと丸い粒となり、その場に点として固着する。しかもその点は、よく見ているとどんどん連なり、線となり面となって、明確な図柄を描き出していくのだ。まるで砂絵のように。
雨雲の切れ間から差すわずかな陽光を反射する雨粒砂絵の表面はプリズムに彩られることで着色され、それは黒いシートの上で最大限に煌く。三十分ほどの間に雨は一つの絵を完成させるのだが、今回出来上がったのは花瓶に生けられた花の絵だった。白や赤の花びらを模した、色とりどりのプリズムを纏う雨粒たち。これが宝石ならば一体何カラットに相当するのかというほどに眩い、ダイヤモンドやルビーと同じだけの輝きを放ちながら、けれどそれはとても儚く、やがては普通の雨と同じように跡形もなく蒸発してしまう。泡沫の絵筆、泡沫の絵の具。降り注ぐ宝石、降り注ぐ奇跡。
のちに町の住民に確認をとると、この町にあるものの大半と同じように、あの雨粒砂絵画廊も一体いつから存在しているのかは不明だそうだ。
「ただ、作り物の多いこの町でも、雨だけは人の意思に全く関与も依拠もしていない一〇〇パーセントの自然です。雨粒砂絵画廊の絵は、雨自身がその心に思い描いているもののようです」とのこと。
人間の目からは、雨というものは地表を乱打しているようにしか見えないものだが、もし全体を観測することができたら、それは完全なるランダムなのだろうか、あるいはなんらかのパターンに基づいているのだろうか。また、雨は一粒一粒が単体で、総称としての「雨」は小魚が巨大な群れを成しているようなものなのか、それとも同一の雨雲から降る全ての雨粒が単体の「雨」なのか……。雨は、どこに心を隠し持っているのだろうか?
「さあ、どうでしょうね。ただ、私、思うのですよ。人も雨も、どちらもいつか還るどこかを夢見て、地から空を見上げたり、空から地へ降ったりするのではないかと。だとすると、降っては蒸発し、空へ還り、また降っては蒸発する雨は、決して永続的には留まれない地上をこそ夢見ているのではないかと。その憧憬が、あの絵を描かせているのかもしれません———」
次号 ツバメ町ガイドブック PAGE6 「天使の踊り場」