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2F/当番ノート

ツバメ町ガイドブック PAGE10 「うさぎの耳飾り屋」

当番ノート 第17期

rabbit

 世界の片隅の扉の向こうに、その町があり、その耳飾りがある。

 ”うさぎの耳飾り屋”

 住所:ツバメ町 O地区 栞の小路

 店主はこう語る———
「貴方が眠っている間、貴方の耳は働いていると思いますか? それとも一緒に休んでいると思いますか? どちらにせよ、貴方が眠っている間も、世界は一時停止しているわけじゃない。止まることなく動き続ける世界の中で、全てを聴いている者もいますよ、ほら———」
 籐で編まれたバスケットの中から、店主は小麦色をした小さなうさぎを取り出す。体長の半分はあろうかという長い耳には、色とりどりのパステルカラーのこんぺいとうで作られた輪っかの耳飾りがつけられており、とても愛らしい。
「一緒に聴いてみますか。この耳飾りをつけたうさぎの耳は、周囲の音を集めると同時に、それを拡張して周囲に伝播させることもできます」
 集音器とスピーカーを兼ねているということらしい。もちろん、ツバメ町にはそういった機械類は存在しない。
「この辺りで今眠っている人の周りを包んでいる音も、うさぎは漏らさず聞いていますよ。さあ、このうさぎの耳に、耳を近づけてみてください」
 音の源泉のように、うさぎの細長く柔らかそうな耳の奥から、混線したノイズの欠片たちがか細く響いてくる。絡まりあっている音たちをほどいてみると、それは……。
「おやすみ。愛してるわ、ぼうや」
「はっくしょい!」
 仔犬の鳴き声。
「結婚してお互い随分遠慮がなくなったけど、寝顔だけは三十年前と変わらないなあ、お前は」
 小躍りしている足踏みらしきタップ音。
「ごめんね。眠っている間に出て行くわ」
「眠っている君にしかプロポーズできないなんて、僕はどこまで臆病者なんだ……」
 窓辺に吊られているカーテンが強い風にはためく、ぱたぱたという音。
「キッシュを完璧に十六等分することに成功したわよ!ほら、見てよ!……あら、寝てるの?」

 この、少々プライバシーを侵しかねない秘密の装置。厳密には盗聴なのだが、ツバメ町でそんなことを言うのも野暮というものであろう。住民たちもこのお店の存在を受け入れているのであるし、なによりうさぎの見た目の愛らしさゆえに、生活音を聴いているというよりは、ちいさなお芝居に耳を傾けているような雰囲気が出ている。あくまで静謐、かつ、どこか現実感に乏しいツバメ町ゆえの感覚だ。
 眠る人々の耳に届く音が聞けるのは、うさぎが身じろぎをして、こんぺいとうの耳飾りがほどけるまで。うさぎは一粒一粒、それを美味しそうに食べていく。
「このこんぺいとうは、うさぎが消化できる植物から作っていますので、そこのところはご心配なく。ところで、いかがでしたか、視界の裏側の音たちは。再生され続ける人々の営みは。生きるものは、大なり小なり音を鳴らすもの。私の鼓動も、貴方のまばたきも、うさぎ達は聴いています。さて、それでは、うさぎの聴覚が休むときはあるのでしょうか? あるいは、うさぎの聴覚が一眠りする時、世界は動いているのでしょうか。なにしろ世界一、世界の音を聴いているのはうさぎなのですから、世界はうさぎという聴衆のために動いているのかもしれないですよ。聴いてくれるはずのうさぎが眠っている間、世界は一時停止してはいないと、誰が誓って言えますか? あっ、ほら、今のうさぎが欠伸を———」

 次号 ツバメ町ガイドブック PAGE11 「ひよこを導くサーカス団」

夏見 ホネカ

夏見 ホネカ

影に色を塗るような気持ちの小説たち。
「ツバメ町」第1巻、2014年度中に書籍化予定。

Reviewed by
夏見 ホネカ

あなたが眠っている間の世界を、あなたは永久に知ることができない。

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