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2F/当番ノート

ツバメ町ガイドブック PAGE13 「ツキノワグマについての一考察」

当番ノート 第17期

bear

 
世界の片隅の扉の向こうに、その町があり、その夢想がある。

 ”とある少年”

 住所:ツバメ町 Q地区 砂の小路

 このガイドブックを作るにあたり、ツバメ町の多くの住民たちに話を聞いてきた。たいていは目的のはっきりしたお店やサービスを営んでいる人々だが、ツバメ町には当然、多くの子供たちも暮らしている。”外”の子供と較べると、みな、どことなく大人びた顔つきをしているのが特徴的だ。この町全体を満たしている、『実はこれは全て何かの舞台かお芝居で、自分たちはそれをこなしている演者なのだ』というような空気、それを子供たちも纏っているのだが、不気味さや薄気味悪さはなく、この町の人々は無論芝居でも舞台でもない人生をまっとうしている最中なのであり、普通にただこの町を旅行するだけであれば、自分はテーマパークのゲストなのだとでも思えばいい。
 町の中で知り合ったある少年と、”外”の写真を数枚見せて話をしてみた。少年の気を最も惹いたのは飛行機の写真でもコーヒーメーカーの写真でも南の島の写真でもなく、”外”の某県の某動物園で飼育されている、ツキノワグマの姿を捉えた一枚の写真だった。
その写真自体は、これといって特筆すべき点があるものではない。いたって普通のツキノワグマが、いたって普通の構図で、素人の手によって撮られたもの。
この、齢六つばかりと思われる少年が単にツキノワグマの存在を知らないのか、あるいはツバメ町の森自体にツキノワグマが生息していないのかは定かではない。他の大人たちにも尋ねてみたが、森に足を踏み入れる者は少ないらしく、今回はいずれの確証も得ることは出来なかった。しかし少年はクマの胸元の三日月がいやにお気に召したようで、その三日月の正体を彼なりに考察しだした。
「このクマは、本当は月の生き物なんじゃないかな。っていっても、ツバメ町の空に貼られているようなあんな月じゃなくて、きっと別のどこかの空に、別の月があるんだよ。三日月の世界だね。その月は満ちることも欠けることもなくって、いつも三日月で、それはあんまり鋭いから、時々空ごと傷つけちゃう。そうするとその空の裂け目から、月を足がかりにして、クマたちが冒険に出て行くんだ」
 ツバメ町の原則の一つとして、『小説や歌曲、絵画、詩など、芸術的な創作を出来る者はほぼいない』ということはこれまでにも述べてきたが、当然何事にも例外はある。この町にも”絵屋”と呼ばれるただ一人の絵描きがいるように、どうやらこの少年は、物語を創造する能力が備わっているようだ。
「ああだけど、空の外には何があるんだろう。そうだ、”外”の空の外には何があるの? スイキンチカモクドテンカイメー? なにそれ、最強無敵になれる呪文か何か?」
 水金地火木土天海冥。世界の片隅の扉の中に存在するツバメ町の空には、それらの惑星は存在しない。ツバメ町の住民が知るのは、ツバメ町と、空と、太陽と、月と、星。それだけの要素でも、朝と昼と夜はきちんと構築されることがこの町において証明されているわけだが、では”外”の空の向こうの宇宙はなんのために存在しているのか? 思わずそちらに思いを馳せそうになるが、それは本題から外れるし、ツバメ町にはなんの関係もない空間のことだ。少年は続ける。
「僕の父さんは、仕事で時々”外”の人と会ってるんだよ。だから、”外”の本を僕も時々貰えるんだ。この間はシェイクスピアの『リア王』を読んだよ、とっても面白かった。だから僕は、”外”のことはあんまり知らなくても、想像の世界のことは少し知ってる。”外”の人たちがどれだけ多くの想像をして、どれだけ多くの喜劇や悲劇を夢想して、一人の人間の頭の中にどれだけ多くの想像が詰まっているか、そしてどれだけ多くの人たちが、本を介して、どれだけ大きな想像を共有しているか。そしてツバメ町から出なくても、その一端を僕も共有できることも分かってるんだ」
 シェイクスピアを読破しているだけあって、年齢のわりには言葉遣いがかなりしっかりしている。
「だから本当は、この写真のクマも、空の裂け目から冒険に出て行ったりするような生き物じゃなくって、きっと”外”では普通にいる動物なんだって、僕にも、うすうす見当はついてるんだけどね。だけど僕はあえて想像してみる。三日月の世界の空の切れ目からクマたちは出て行く。クマの胸の白い三日月は、その世界のクマたちだけが持っている、特別な受け皿で、空の外で知識や仲間や発見を得るたび、胸の三日月がいっぱいになっていく。そしてそれが満たされた時……空の裂け目も自然治癒する。空の外のクマたちは、もう空のこちら側に戻ってくることはない。だけど空の三日月は相変わらず鋭すぎて、だからまた時々空を切り裂いて、そこからまたクマたちは少しずつ旅に出て行って———いつか、三日月の世界からクマはいなくなる。クマのいなくなった世界は一見荒廃したかに思えた。だけど百年後、今度は空の切れ目の向こう側から、狼の大群がやってきて———」
 ああ、だめだなあ、全然だめだ。ひとりごちて、少年は肩を落とす。
「初めて物語を作ってみたけど、難しいや。起承転結も序破急も、まるで無いね。思いつくままに喋ってるだけだもん」
 幼い小説家は即興のツキノワグマの物語を自分でそう批判する。物語を聞かせてくれたお礼にツキノワグマの写真をプレゼントすると、少年は、「これ、しましまちゃんにも見せてあげようっと」と呟いた。
 しましまちゃんとは一体? その問いに、少年はうっすらと頬を上気させて、「僕のともだち。”絵屋”さんのところで、絵を習ってる女の子」
 
 お芝居の登場人物のような、どこか現実感に乏しいツバメ町の住民たち。けれどこの町の中でも、幼い創作の息吹が、あえかに、けれど確かに存在している。いつかこのガイドブックを読んでくれているあなたがツバメ町を訪れた時、この少年の紡ぐ新しい物語の本や、しましまちゃんの絵が、ツバメ町を彩っているかもしれない。

 次号 ツバメ町ガイドブック PAGE14「ある化け猫の話」

夏見 ホネカ

夏見 ホネカ

影に色を塗るような気持ちの小説たち。
「ツバメ町」第1巻、2014年度中に書籍化予定。

Reviewed by
夏見 ホネカ

少年の夢見る、ツキノワグマの物語。三日月の世界がどこかにあるのだと、彼は語り出す……。

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