その頃わたしは冷暖房のない部屋に住んでいた。2月なんかに1日中家で仕事をしたりすると、どんなに分厚いフリースにくるまっても、ブランケットを何重に巻きつけても、日が翳りはじめる頃には、身体が芯まで冷えた。
銭湯を楽しむようになったのは、たぶんその部屋に住んでいたときからだと思う。東京は北千住の、下町の商店街からひとつ路地を入ったところにあるその家は、5畳の広さしかない1Kだったけれど、東向きの気持ち良い窓がお気に入りで、遠近感がぎゅっとパックされた妙に落ち着く空間だった。
下町だけあって、近隣には10を超える銭湯があった。冬、寒くてやりきれないとき、あるいは後になってからは、銭湯に行くための口実にわざわざ厚着するのをやめて身体を冷やしたりなんかして、わたしはそれらの銭湯に通ったのだった。立派で広いけれどいつも混雑している銭湯、老人ホームのような印象の銭湯、ビルの1階に最低限の設備だけ整えたシンプルな銭湯、芹のような匂いのする薬草湯のある銭湯、……。
ひととおり制覇した後は、お気に入りができて、そこに足繁く通うようになる。わたしのそれは「緑湯」で、飄々としたご主人と、これまで入った銭湯の中でもっとも年季のはいった脱衣場と、見通しが良くて開放的な浴場が大好きだった。夏にもよく通って、平日の午後15時半くらいの明るい太陽の下、大学のグラウンドに面した大きな浴場を独り占めしながら、タイル絵の鯉のなかにお気に入りのやつを探したりするのは、すこしだけ退廃的な雰囲気も混ざって、本当に気持ちが良かった。
京都に越してきた今は、近隣の銭湯をひととおり制覇している最中。東京の銭湯にあったような細やかなタイル絵はあまり見ないような気がする一方で、脱衣場と浴場とのあいだに洗い場がついていたり、サウナが無料だったり、いろいろな違いが興味深いところ。
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そうして、銭湯についてわたしのもっとも好きなのが、「夕方の青」なのでした。夕方に銭湯に行こくとがあったら、中央の天井を見上げてみてほしい。そこはたいてい、吹き抜けのさらに高い屋根になっていて、トタン葺きで、向こうがぼんやり透けて見える作りになっている。
そのぼんやりしたトタンを透かして、午後の光はまだきれいな空色をしている。のぼせてしまってあまりに早くあがってこなければ、その色がだんだん変化していくのが見えるはず。日が沈んでいくにつれて、紺が空色に混ざりはじめる。そして、あるわずかないっときだけ、スミレを思わせるきれいな紫色になる。注意して見ると、トタンの端から端へと、空色とピンク色のグラデーションがついているときもある。
髪を洗っていたりするうちに紫色は消えていって、夕方が終わって夜になると、重たい紺が静かにトタンを染めている。湯船に出たり入ったりを繰り返していても、このくらいには、身体もほかほか暖まって、良い気持ち。お腹も空いてきたし、のぼせてしまうから、そろそろあがって帰ろうかね。
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そんなだから、銭湯という場所は本当に楽しい。お湯の出てくるライオンの口やら女神の壺、時代がかかったフォントの鏡貼り広告、床張りに紛れ込んだ蟹や貝の飾りタイル、ロッカーのカギに彫られたオシドリの印章、唐突に現れるコンセプトのよくわからない中庭。…ああ、そうしたいろいろを、しみじみと愛でたい。さらに、洗い場や湯船にいそいそと立ち動く人を見ていると、人間なんて結局は誰しも、ぶよぶよした肉やら脂肪やらのカタマリなのだ、という気分にもなってくる。銭湯にあっては人間もみな平等なのだ。
お湯と蒸気でぼんやりした頭は細かいことを考えるのをやめるから、直感がひらめくようになる。正方形のタイルがお湯の中でゆらゆら揺れている上で、天井から落ちた水滴が波紋を描くのを眺めたりしていると、こわばった現実のいろいろが、ふやけてほぐれていくときがある。なんとなく、人生の問題を考えたり、仕事のアイデアを練ったりするとき、わたしはよく銭湯に行く。
さて、勘の良い人はすぐにわかったかも? そうです、この文章、銭湯の中で湯船に浸かりながら考えたのでした。今夜は布団に入ってからも暖かく、朝までぐっすり眠れそう。
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こんにちは。
わたしの好きなものを、手の届く範囲の言葉で。
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追記:
この記事を書くために改めて調べてみたところ、北千住の「緑湯」は2015年末に廃業されていたことがわかりました。廃業される前にせめてもう一度、京都から日帰りで駆けつけてでも、入りに行きたかったなあ…。