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2F/当番ノート

本能が立ち上がると、けっこう幸せになれる件

当番ノート 第34期

ようこそ、私のアパートメントへ。
この夏は「岐路」、つまりあの時人生変わったなぁ〜と思うことを振り返っています。
岐路の思い出に再び考えを巡らせると
”新しい生き方”を模索できるような気がしています。

今日はミンダナオの文化のない場所で感じたことがテーマです。
私の経験が直接的にあなたの役には立たないかもしれないけど、
何かピンとくるものを共有できたら良いなぁ。
あぁ、そんなに急がないで。
よかったら、晩御飯もご一緒にどうでしょう。

私好みの、重くて渋いワインがあります。
酔わなきゃ開かないドアもあるってね。
さぁさこちらに座って、ゆっくり飲みましょう。

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<生きるためのプログラミング>
 
いつの時代も、生きることは困難ですが、
ヒトは苦しみながらも状況に応じて生き方をアップデートしてきました。
自分の愛する子供にはもっと楽をさせたい、豊かになってほしいと、
先祖たちは「あれこれ考える前にやった方が良いこと」を自動的にアクションさせるため、
密かに遺伝子にプログラミングしてきたことがいくつかあるのではないでしょうか。
”本能”のファイルの横に、きっと保存されているはずです。
 
緻密に積み上げ、頑強に縒られたヒトの生存戦略は、
私のへいぼんな脳みそでは想像できないほどですが、
だからこそ、そのプログラミングを信じているところがあるのです。
私が理解できるのはプログラミングは、理性が働きすぎるとうまく起動しない、ということ。
 
考えすぎて内側に入り、自らの心に空いた深い深い穴に落ちないように。
考えすぎて外側に行きすぎ、誰かを傷つけたりしないように。
問題を自分から外部化する装置、つまり祈りが生まれました。
 
祈りの産物は残念ながら、
私たちの目にははっきり映らない仕掛けになっています。(それがこの世界の面白さですが)
祈らなくなった私たちは、
何もかも自分でコントロールできると勘違いし、
自分の脳みそに頼って考えすぎ、感覚から遠ざかり、
プログラミングのトリガーがうまく解き放たれない状況なのではないか。
だったらやってきたようにやってみよう、というのが私の意見です。
 
<本能が喜ぶ生き方>
 
スピリチュアルに目覚めようと怪しい教団が出来上がったり、
無神教はもちろん、神様は俺だ教、
深くは考えないけど、占いとかパワーストーンは好きだよねというライトスピ系。
宗教復活を唱える宗教原理主義、
UFO好き好き軍団等、
祈る生活に代わって様々な道が開かれてはいますが、
私としてはどれも本質的ではないし、本能からは遠い気がします。

私は先祖が残していったプログラミング教、もとい”本能が喜ぶ生き方”の信者と言えるでしょう。
簡単に言えば、動物回顧主義者に分類されるでしょうか。
人間は動物だ、だったら動物に還ろうよというスローガンを掲げて。

頭で考えすぎることを減らし、
直感や五感といった感覚を大切にする。
嫌だと思ったことはしない、したいことをする。

そんなやり方ただのわがままだ、社会に適応して迷惑をかけないよう生きなければいけないよ、
とあなたは言うかもしれません。
確かにそうでしょう。
でも、動物の私が幸せになれる保証はありませんよね。

本能が喜び、
先祖の痛みや苦しみが染み込んだプログラミングがきちんと機能できるように、
社会や文化の常識をひとつずつめくって、脱ぎ捨てる。
あなたの忠告でさえきっぱりと無視して。

フィリピンのミンダナオで、私は動物になる妄想を何度もしました。
妄想も繰り返せば夢で見て、夢で見たものは私の体験として蓄積され、私を確実に変えました。
ある朝目覚めると、そこに「岐路」はあったのです。

<ミンダナオの文化不在のいちにち>

それは今日でいちばん「昔に近い」生活です。
することないんです。
テレビもない、電話もない。
電気もあんまりない、塩だって貴重品。

絵画を鑑賞したり、クラシック音楽を聴くこともない。
もっと工夫して、良いものを作ろうと言う考えがない。
適当。
適量。
超適当。
だからこれといった文化がない。

最初はこんな生活が続くのかと思うとゾッとしました。
早くネット環境のあるところに戻りたい、文化サイコー!とさえ思いました。
新しい情報が欲しい。
本が欲しい。
SNSが恋しい。

薪をくべて、釜の飯を炊き、マンゴーの木に登って実をもいでいる生活に慣れた頃には、
自分の心が思うがままに生活できるようになります。
取り繕わなくて済むってなんて素晴らしいのでしょう。
心配事がなく、イライラしたり、焦る気持ちもなく、
ただこの時間を漂う有機物として生きることができたのです。

本能が立ち上がる時、青白いプログラミング・コードが走り始めます。
何もかもが正しい位置に片付いていき、
アイロンがけが終わった清潔な白シャツのごとく、折り目の正しい幸せが訪れます。

文化を脱ぎ捨て、柔らかい動物に戻ろう。
私の個人的な考えなんかではなく、プログラミングの秘める大きな力がはたらくと、
けっこう幸せになれます。
え?けっこう幸せって言葉が軽い?

確かに、酔ったような言葉を発する割にオチが軽いですね。
でもその幸せをあなたにも体験して欲しいから。
今は幸せでなくっても、きっとつかむことができるから。
ここで正確に言葉にするのは、やめておこうって思うんです。

たかだ まなみ

たかだ まなみ

煩悩による煩悩のための煩悩の筆跡。
結婚や明るい家庭という幻想に囚われて、時間とお金を浪費中。

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