こんにちは。辺川銀です。ぺんかわぎんと読みます。ペンギンが好きです。あと猫も好きです。10月から11月までの2ヶ月間、このアパートメントで「天国を探して」という短いお話を連載させていただきました。
週にいちど、二ヶ月間の連載ということで、物語のほうも全8回ということでプロットを作り書き始めたのだけど月曜日の担当ということで、月曜日の担当には暦の都合で第9回まであるんだよということが判明しましたので、最後に短いあとがきのようなものを書かせていただくことにしました。
まず最初にひとつネタばらしをすると、僕が過去に書いた作品の中に「天国の塔」という長編小説があります。この作品の中には「天国を探して」よりも後のアサクラが登場しています。そして「天国を探して」というタイトルについても、「天国の塔」へと続くお話、という意味合いだけでつけたものなので、「天国を探して」の中にある「天国」には、実はそれほど深い意味を考えてはいなかったんですね。……書き始めた当初は。
「天国を探して」の最終回を書いたあと、仕事で教会に行く機会がありました。(いま他所で書いている記事の内容に触れないようちょっとフンワリとした書き方をしますが)そこで聞いた話によると、神様が人間にくれる救いというのは、「人間の願いを叶えてくれる」という性質のものではなく、「願うものと違うかもしれないけど必要なものを与えてくれる」という類のものだそうです。
なるほど確かに「願ったものを叶える神様」がヒトを幸せにできるかっていったら、それはなかなか難しいのかもしれない。なぜなら「願ったものを叶える神様」のもとで幸せになるためには、自分が幸せになるために必要なものを、常に理解して、間違えないように願い続ける必要があるから。「自分にとっての幸せってなんだろう」という問いに対する答えを、自分の中に常に持ち続けていることって、かんたんなようで実際にはすごくハードル高いんですよね。逆にそれができるほど強いひとだったら、いっそ神様なんかいなくたって勝手に幸せになれるんじゃなかろうか。
「天国を探して」のアサクラ。僕は彼のことを、なんでも手に入れられる力を持った人間、にも関わらず「自分に必要なものが何なのか」が分からず、分からないことに苦悩する人間として、始終えがいてきました。彼がずっと探していたものはもしかすると、「必要なものを与えてくれる神様」のような何かであり、それがいる場所が天国だったのかも。……ぜんぶ書き終えたあと、偶然の出会いを経てそう思った次第です。
最後に前述の「天国の塔」について。WEB上で公開している掌編小説とは違い、長編小説として書いたものなので、いまはどこにも公開されていない作品になるのですが、作者としてはとても気に入っている話なので、いつか遠くないうちにどこかで発表したいなと思っています。
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それでは。二ヶ月のあいだ読んでくださったひとも、今日がはじめたのひとも、ここまで読んでくださってありがとうございました。もしよかったらまたお会いしましょう。またね。