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2F/当番ノート

ある手紙(2018.6.3)

当番ノート 第39期

ご無沙汰しています。
お元気ですか?

最後に会ったのは、今年の頭。2017年を無事に終えた感謝とこれから始まる2018年を祈願するために、天狗で有名な神社に行ったのが最後かな。広々とした境内、太く長い杉の木に囲まれていて、大きな門の入り口を抜けて歩いていくたびに「囲まれている」という感覚になった。しばらく会えていなかったから、最近のこと、家族や仕事のこと、好きなことや好きじゃないことを話したような気がする。思い出してみようとしてもほとんど覚えてないけどね。ただ、柔らかいボールでキャッチボールするような、受け取るたびに手になじむ、そんな会話をしていたのを覚えてる。あまり時間がなかったけど、別れ際に近くの海を見に行って「相変わらず汚れてるね」と言い合って、僕は家に戻った。あれからまだ数ヶ月しか経ってないけど、もう数年も前のことのような気がするよ。

さて、どうしてこの手紙を書こうと思ったかと言うと、僕らの音楽の話をしたかったからです。近頃、もう10年も前に一緒に作った音楽をよく聞いています。その頃はお互い離れた場所に住んでいたから、君が夏休みを使って遊びに来たとき、川の近くにある小さな部屋で作った音楽。家にある楽器に限りがあって、音数が少なくてスカスカだけど、その時代の空気に満たされてる。すごく良い。

この前、車の中で聞かせた曲で「今の君っぽい」と言ってたね。お互い歳をとったし、ものの考え方、捉え方も変わったと思う。だから、お互いがまとっている空気をパックにしておきたいと思ってる。また10年後、同じようにあの頃の僕らの音楽を振り返って、話をしたいしね。どうだろう?力を貸してくれないかな。

今は5月、日曜日の朝8時。天気が良くて、風も気持ち良いから、全開にした窓に向かって、この手紙を書いています。手紙を書くなんてここしばらくしていなかったから、何から書けばいいのか、お作法も知らないし。だから、話しかけるように書いています。

ところで、最近何か映画見ましたか?僕は「君の名前で僕を呼んで」を見ました。もしまだ観ていなかったらぜひ観に行ってみて。気に入ると思う。これは僕の感想です。

「観終わったあと、エンドロールが流れる中でさっき観終わったばかりのシーンがフラッシュバックするのは初めての体験だった。北イタリアのまばゆい光、透き通る風、穏やかな水面、若者たちの繊細で、抑えの効かない心と身体。どんな言葉もこの映画は観なければ絶対に分からないものがあると思う、今はこの映画を観た人と一緒にビールを飲みながら、5月の風に当たっていたい。」

次に会うのがいつになるかは分からないけど、その時はビールで乾杯しよう。

では。

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ある手紙

Reviewed by
藤田莉江

こんな手紙がある日ポストに舞い込んできたらどうだろう。
明らかに差出人は見覚えのない名前だとしても、自分の記憶を辿って疑って「本当は間違いなんかではなく、ちゃんと自分へ宛てた手紙なんじゃないか?」なんて、錯覚してしまうかも。

終電の1本前を追いかけるように職場から走り出してなんとか終電に乗って帰った夜や、久々の天気の良い休日にだらだら二度寝を楽しんだあとで手を伸ばした郵便受けにこんな手紙が入っていれば。

穏やかな、あったかもしれない過去に連れ去られたくなってそのまま布団に潜り込んでしまう。
ありはしないだろう未来に向けて、一緒に飲むビールの銘柄を想像したりする。

次の休みはいつだっけ。
その映画、見ておくから。

ふわ、と風が吹いたみたいに、一瞬身体のまわりにある空気が軽く心地よいものに変わる。

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