はじめて、はじめて好きな人の家に上がるときの気持ちのようです。真新しく、真っ白な靴下を選び、お気に入りの香水をほんのすこし香らせて。お行儀良くできるだろうか、いや、素顏を見せていきたいな、なんて交互に巡らせて。
そう、なんといっても、
ここは「アパートメント」なのです。
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はじめまして。当番ノート42期のヨシモトモモエです。
毎週火曜は私のお部屋で、のんびりしていきませんか。
27歳・実家暮らし。
会社勤めを楽しくしながら、家業を手伝い、踊りなどもしています。「踊れる・食卓」では日々のくだらなくて、けどすこしくだるなぁ、と感じたことをゆるっと書いていきます。
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第一回:豚なし豚汁のフィロソフィー
「ももちゃん、今日は豚なし豚汁です」
仕事終わり、母からSMSが届き、駅のホームで思わず吹き出す。
「なにそれ。新メニュー?」
私の母は平気でそういうのを仕掛けてくるからなにぶんご厄介である。それは、汁。豚がない豚汁など、汁である。
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帰宅。母は、私が帰宅するのをうつらうつらしながら、たいてい待ってくれている。生活習慣としてはあまり良くないと聞くけれど、外でごはんをいただいても、私は家でごはんを普通に食べる。月に一回ぐらいだろうか、母は時々、急に今日の献立を知らせてくる。そうはいっても、まさか「豚なし豚汁」の日に知らせてくるなんて、とつり革を握りながら考えたりする。私だったら自信満々の日には献立を知らせるかもしれない。けれど、まったく母ったら今日に限ってどうしたのかしら。深い夜の電車に揺られて家路に着く。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。遅かったね」
「ごめんね、今日はちょっとやりきりたいお仕事があったの」
母は、さっきまで寝ていたからか目が赤い。私が帰宅する頃には、母はたいてい人様にお手紙を書いては挫折して、高校生の午後イチの授業風景さながら、机に突っ伏して寝ている。すこし起きてきた母は、目をこすり、不思議な配色の衣紋掛け(エプロンというよりはいわゆる割烹着タイプ)をつけて、台所を行ったり来たりする。木造建築、築50年。壁紙はクリーム色で小花柄。夏は暑く、冬は寒い。最大10名の人員を抱える我が家の台所は、けっして「キッチン」なんぞ呼べたものじゃない。平成最後のこの頃も、昭和の名残がある場所だ。
「それはそうとさ」
「どうしたの?」
「どうしたもなにも。豚なし豚汁ってどういうこと?」
母はケラケラ笑う。
本当に「ケラケラ」という感じで手を叩きながら笑う。
「それがね、豚肉がなかったのよ」
だろうね。それはそうでしょう。言ってしまえば、我が家に「お肉」がないことは幼少の頃から多かった。3世代が住んでいて、祖父母はすこしおとぼけ気味(愛を込めて)。家業もあり、その関係でお野菜などを戴くこともある。お魚のほうが祖父母も食べることができるから、どちらかというと買うならお魚なのである。
「それでも”豚汁”にしたかったんだね」
今に始まったことじゃないものね、という雰囲気でそう私は茶化すと、母はまたケラケラ笑いながら、お鍋をかき混ぜる。
「なんなら、お汁をみんなが取ってしまったから、煮物だわ。どうしましょう」
すでに「汁」だというのにどうしたものか。けったいな話だ。母がもはやなんと呼べばいいのやら、といった代物を温めてくれている間、私はほかのおかずを温めたり、ごはんをすこしよそったり、母と私の分のお茶を煎れる。ほかのご家庭の食卓についてはあまり詳しくないけれど、我が家の食卓に並ぶひとつひとつは質素な料理だと思う。「ひじきの煮物」とか「自家製のぬか漬け」とか。「切り干し大根」や「ほうれん草のおひたし」あたりが定番で、色味も地味で、味も大変薄味である。27歳の今となっては、ああ、この優しい味がしみるよね、とやっと有り難みが分かってきた。東京にほど近い場所に暮らしていたのに、大学生くらいまでは外食はほとんどしたことがなく、デートで連れて行ってもらったイタリアンで「アヒージョ」というものに出会ったときはただただ衝撃が走った。
「はい、どうぞ。豚なし豚汁です」
なんだかにやにやしながら、私の前に母は差し出す。さてさて中身はなんだろう。やわらかくなった人参、しみしみの大根、笹掻き牛蒡、なけなしのしめじと、ちぎった蒟蒻。おそらく生姜も入っていて、じわっと沁みる。そう、沁みる。いろいろと沁みる。
「おかわりある?」
「もちろん、あります」
私は汁物が好きで、豚汁やけんちん汁、スープのときには平気で5杯ぐらいおかわりをする。母はそれを知っているので、汁物のときは特に大量に作ってくれる。というか、我が家は日々大量調理をするため、もはや私のためかはわからない。
と、ここまで読んでくださった方の中には「それってけんちん汁では?」と思った方もいるかと思う。私も一瞬そう思った。
ただ、これは紛れもなく「豚なし豚汁」なのである。
豚がなくても、家族に豚汁を作りたくなってしまった母による一品なのだ。そう思うと愛おしいし、さらにさらに私の心の奥の方までしみ込んでくる。喉元を通って、食道をす〜っと真直ぐ通り、そこから徐々に広がるような。そうして、私の身体になっていく。
「ごちそうさま。おいしかったよ、豚なし豚汁」
「そりゃそうよ。自信作だもん」
やはり自信作だったか。
なんだか、してやられた感があった。
いつか私が母になったら。
いや、母にならなかったとしても。
私はいつか誰かに言うだろうな、
「今日は豚なし豚汁です」と。
(こんな感じで、つづく)