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2F/当番ノート

カウンターには週末の夜にも花が咲く—ささいなことだけれど

当番ノート 第44期

東京・墨田区の自宅近くに、大事な珈琲屋さんがあります。

初めて訪れたのは2012年の7月。以来何かと足を運ぶようになり、その近所に住み出した翌年の春以降はさらに足しげく通いました。
2014年の春から2年間は、スタッフとしてはたらかせてもいただきました。
今もときどき、ココアを飲んでホッとしたり、マスターやなじみのお客さんとおしゃべりしてリフレッシュしたりしています。

席数30に満たない小さなこのお店の核は、カウンター席。キッチンと向かい合わせで、3席用意されています。なじみのお客さんはたいていこのカウンター席に座って、マスターとおしゃべりします。
なじみのお客さん同士が初対面でも、帰るころにはたいてい顔見知りになっています。マスターがさりげないタイミングで紹介してくれたり、気づいたら会話が横に広がっていたり。
知り合いのお客さん同士が居合わせれば、そこでも会話が起こります。久しぶり、元気?、そういえば、云々。ちょっとした依頼やお誘い、あるいはお仕事に展開することもしばしばです。

そういうことがとても自然に、でもかなり頻繁に起こる、カウンター席。

カウンター席に広がるそのような関わりの世界の周りには、それぞれのお客さんがそれぞれの時間を楽しむ穏やかな世界もちゃんとあります。なじみのお客さんの中には、カウンター席に座らない人も多くいます。一人で新聞を読んだり、仲間や夫婦の時間を楽しんだり。カウンター席に広がる世界のことなど知らないお客さんの方が、むしろ多いかもしれません。

それぞれが、過ごしたい時間を気持ちよく過ごせる場所。その懐の深さが、とても魅力的なお店です。
 
 

そんな珈琲屋さんの魅力について改めて考えさせられる出来事が、先日ありました。

その珈琲屋さんで一緒にスタッフをしていた写真家の人が、昨年とある写真賞を受賞したのです。受賞作品で個展開催に加え写真集も制作する、とても骨太な賞でした。
それは自分のことのように嬉しい出来事でした。心の底から嬉しいと思えたこともまた嬉しかった。

でもふと思いました。こう思えることって、よくあることではないんじゃないか。
元々は、単に同じ珈琲屋さんではたらく同僚だった。でも2年間を経て、相手の活躍を心底喜べる仲間というか、道は違いますが同志のような存在になっていた。単に仲がよくなったこととも違う、確かな信頼とその割には意外にさっぱりもした距離感が特徴の関係。その写真家さん以外とも、少なからずそういう関係ができました。

他のアルバイトでは同僚とそのような関係ができたことはありません。それがなぜ、その珈琲屋さんでは生まれたのか。

その時思い出したのが、週末の夕方のことです。

土日は平日以上に混雑するので、朝から晩までスタッフが二人勤務に入っていました。そして混雑が落ち着く18時前後にマスターは一足早く上がり、以降はスタッフの二人で20時のクローズまでを行う形でした。

その2時間に、その日一緒に入った人と色々な話をしました。主にはスタッフとしての業務についてですが、時々なにかのきっかけでお互いのことについても。普段どんなことをしてるのか、ここではたらくきっかけはなんだったのか、将来はどんなことをやりたいと思っているのか、などなど。ついつい熱く語ってしまったな、と思うこともしばしばありました。

もちろん、ちゃんと仕事はしていましたのでご安心ください。笑

その時間は徐々にお客さんが少なくなるので、キッチン周りでの作業が多くなります。キッチンに立って横並びになったり、カウンターとキッチンを挟んで向かい合わせになったり。いずれにせよ適度な距離で居合わせながら、それぞれ作業をしている。それが、一緒にスタッフをしていた人と一番よく話をした状況でした。日ごろのカウンター席とは少し違いますが、話の花は週末の夜にも咲いていたのでした。
それが、同僚を同志にしてしまうそのお店の、とても象徴的な時空間でした。ひそかに実り多い、時空間。
 
 

そのような時空間が生まれた要因は色々あったと思います。手の仕事をしながらって、何もしていない時よりも話がしやすい。一対一なので話が深くなっても大丈夫。お客さんが不在になって以降は、より話もしやすくなる。

でも、一番大きかったのはやっぱりマスターの存在だと思います。

そのお店は、とてものびのびとはたらける場所でした。
基本的な作法はもちろんありますが、「必ずこうでなければならない」というルールはほとんどありませんでした。だからマスターとはもちろん、スタッフ同士でもよく話をしました。お客さんがよりよい時間を過ごせるように、そしてそのためにスタッフものびのびテキパキはたらけるように、それぞれが気づき考えて、少しずつよりよくしていく。そのおかげでというより、そうすることがすなわちのびのびはたらくことであるような、そういう場所でした。

あえて一言にすれば、マスターはスタッフを信頼してくれていました。

その信頼の延長に、あの週末の夜の時空間があったのだと思います。
スタッフだけが知る、そのお店の懐の深いところ。
 
 

この珈琲屋さんには入り口の脇に大きな窓があります。日中は、窓から差し込む光が暖かくて心地いい。やがて日が暮れると、窓の外の暗さが室内の明るさを引き立てて、日中とは違った落ち着きが生まれます。週末の夜の時空間はその落ち着いた光とセットになって、映画の一場面のような鮮やかさで記憶に残っています。
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清水 健太

清水 健太

駆け出し研究者。
生き生きとした空間について考えています。

Reviewed by
キタムラ レオナ

見知らぬお客さん同士が自然と会話を交わす珈琲屋。

それは珈琲屋のマスターがキーだった。

実際にスタッフとして"中から"そのお店と関わる中で感じたこととは。

(写真で示される珈琲店の様子が、文章から滲み出る雰囲気そのもので、安心感を覚えた。)

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