「あなたは大丈夫」とよく言われる。
徹夜明けで眠い時、熱が出ている時、恋人と別れた時、締め切り直前の時。
なぜそうなのか分からないけど、他者からみたらそうなのだろう。
感情表出バリエーションがポジティブな時を100としたら、ネガティブな時が5程度なのだ。
どういうことかというと、眠くても痛くても悲しくても怒ってもお腹が空いても表情が同じで、そういう時は草葉の陰でひっそりと自己治癒力を発動させ消火・鎮静をはかる。
「こんなことがあった! しんどい! 聞いて! 慰めて!」と治癒することに他者の力を頼ることが恐ろしく下手だ。人からそれをされても平気なのに、自分がそれを求めることは何だかとても駄目な気がしてブレーキがかかる。それだけで済むならただいじましいのだろうが、そうして溜めたエネルギーは全然別の日にあらぬ姿で爆誕する。深夜カラオケやドカ食いや爆買いとして。
それとて後日談をしてみても「楽しそうだね」と一蹴されて終わるものだから、同一線上をぐるぐるするのみである。我が人生はただ怖い顔の犬の如くである。全然だいじょばない。
題してみたものの、じゃあ何と言われたいのかと問われれば解はない。「大丈夫じゃない時だってあるんだよ本当だよ」とだけだ。「あなたは大丈夫」と言われるのは、格好つけて良い面ばかり見せようと生きてきたことへの副作用のようなものだと思う。この言葉の便利さはよく分かる。深く踏み込まず刺激せず、しかし上澄みのような思いやりを差し出して自分の心を軽くする作用がある。誠に使い勝手の良い労りの挨拶。言われる側も、言う側も、少し乾きを感じる不思議なフレーズである。
だい‐じょうぶ〔‐ヂヤウブ〕【大丈夫】の意味
[形動][文][ナリ]
1 あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
安心で強固、それが「大丈夫」。その言葉の繰り返しは、危うい。
大丈夫だと言われることへの違和感を大切にしたいと思う。
大丈夫かどうかは自分が自身に向かって言うことだ。
私は強い、強くありたいと思える時にだけ唱えていい呪文だ。
私は大丈夫。