感動。挫折。後悔。幸福。
大切な体験には、姿と音が記憶に残っていることがあると思う。
16時から18時ごろ、
街に響き渡る帰宅へ導くチャイムと「バイバイ」
視界のぼやける朝、
台所に立つ母の姿。
頭痛になりながら、
とぼとぼと歩く傘の下。
…
音を聴くと記憶が蘇ってくることもある。
近日だと、家にいるときに聴こえるのはどんな音だろうか。
犬の遠吠え。
スマホのスワイプ。
パトロールカーのサイレン。
左から右にゆくスケートボード。
刻々と更新されるニュース。
…
耳を澄ますと音楽はいつも傍にいる。
慣れると日常に溶け込み、音も生命のように並存して身の周りで過ごしている。
タップダンスを始めたのは、ディズニーにあったショーケースにて披露されていたのがきっかけである。
踊る姿よりも踏み鳴らす音に興味があった。なぜ足から規則性と不規則性を兼ね備えながら、きもちよい音がでているのだろう。
疑問であるからこそ自分もやってみたくなった。
ありがたいことに3歳から受け入れてくれるスタジオがあり習い始めることができた。
自由に、音楽と絡み合いながら踏むことを繰り返し、舞台に出たりしながら知覚と感覚を磨いていった。
6歳ごろには、タップダンスの音は会話の1つとして口から出す音とは別に用いていた。
外国語のように通じる人は少なかったが、通じ合える人もいてその瞬間、対話の隔たりを感じなくなっていた。
12歳手前には、テレビやメディアにてぼくを通してタップダンスを伝える機会が増えてきた。
音楽やアートはどう社会の中にいるのかについて、考えることが増えた。
タップダンスは、日常では対面することは比較的少ない。
ダンスとしても音楽としても。
魅力を伝える機会。
感想を言い合える媒体。
そこが足りなかったりするのかもしれない。
今後も体験の色合いと形状を変えていくように、タップダンスをアップデートしていきたいと思う。
焦らず、じっくり、真剣に。
これから、紡ぎ合わせてゆく。
ぼくの経験から、音をどう捉えるか、音にどう触れるか。
日常をアップデートするため、再考してみるテーマとしてよく用いる。
感情が揺れ動いたり意識が切り替わるとき、五感の鮮度が高まり周辺の音と体内の音とが交わりながらアーカイブ化している。
自分の表現や創作物を目の当たりにした人物からのリアクションとレスポンスを受け取れたとき、またそこから事象が連鎖するように枝分かれしながら起きていくところに悦びを感じる。
そんなインタラクティブな体験が日常にインストールできたら、さらに上質な生命となるはず。
そして、経てきた歩みを改めて振り返られる今の自分がいられるのも、上質な幸せなのかもしれない。
これからも対話できること、日々を生きてゆくことに祝杯をあげていく。