タンポポの綿毛のようだ、と言われたことがある。
と言っても、ふわふわで可愛らしいという意味合いではなく、いつどこに飛んでいくともしれない、ひとところに根を張ることがなさそう、というイメージらしく、似たようなことは何度も言われたことがあった。要するに、根無し草だ。
しかし実際の私はさほど引っ越しの経験はない。22歳で親元を離れるまではずっと同じ家で暮らしていたし、35歳で帰郷してからも、同じ地域で暮らしている。その間の東京・神奈川では何度か転居をしたが、23区内で引っ越しをしても、自分を取り巻く文化が極端に変化することはないし、神奈川在住時は都内に通勤していたし、大移動の感はない。
一つ思い当たることがあるとすれば、育った環境だ。そこはあちこちから「よそ者」が集まる郊外の住宅地で、公営の団地もあったことから、住民の入れ替わりが頻繁であった。若い夫婦などが一度入居し、資金が準備できたら別の土地で家を建て、転居するケースはしょっちゅう耳にした。また、伝統的な祭りなどが行われるいくつかの地域からはいずれも離れている。私の母は県外、父は同じ県内ではあるものの、食文化や言葉が違ってしまうほどに遠い土地の出身であった。そのためか、「あれは川向うにあるまちのもの」というような意識がどこかにあった。もちろん、生まれ育った土地を、私になりに愛してはいるのだけれど。
しかし、「そんなことくらいで根無し草っぽさが出るものなのか」とはなはだ疑問ではあるのだが、言われてしまうものは仕方がない。そうなんですねーなどとうなずきながら聞いている。
そんな、似非根無し草の私は、横浜中華街が大好きだ。仕事や私用で東京都内に出向くことがあるのだが、その周辺ではなく、中華街に近い宿を取ることの方が多い。そしてすぐには帰らず、2泊程度することも度々だ。そのため、中華街に詳しいという印象を与え、「おすすめのお店は?」などと質問を受けるのだが、大した情報をご提供できない。私は食べること自体は大好きだ。しかし、食べ歩きができるほど胃腸が強くはない。そして、新規開拓するチャレンジ精神が希薄なため、気に入ったいくつかの店に通い、しかも食べたらさっさと出てしまう。連れがいたのならさまざまな店でさまざまなメニューをゆっくり楽しむこともあるだろうが、出張ゆえ基本は一人旅なので、そうしたこともあまりない。
実は初めて中華街に宿泊したときは(関東在住時以来、10年ぶりの横浜中華街来訪だった)、県外の人間らしく観光地として楽しむ気満々だった。ところが、大荷物が詰まったスーツケースを引きずる“いかにも観光客”といった風情であるのも関わらず、客引きの方々が私をスルーするのだ。下手すれば背を向ける。私が見えていないのかと行ったり来たりしていたら、怪訝そうかつ若干迷惑そうな表情をされてしまった。「こいつには声をかけてはいけない」と、彼らの心のアラートを鳴らしてしまう何かが、私にはあるのかもしれないが、理由は分からない。
なんにせよ、引き留められずに歩けるのは実に気楽だ。地元ではなかなか買えない調味料やお茶を物色したり、お店の人に使い方を質問したり、場合によってはなぜか世間話に流れる。まあ、観光客相手に世間話をすることもあるだろけれど。そこでお菓子やお茶、場合によっては中国や台湾のビールも購入して、中華街ないしは近隣の公園まで移動。腰を落ち着けたら、別段何をするわけでもなく、ただぼんやりと飲み食いを始める。
防犯の意味合いもあるのか、見慣れぬ顔である私を確かめると、地元の人たちはあいさつをしてくれる。私もあいさつを返す。見ない顔だが最近越してきたのかと聞かれ、仕事で県外から来たと答えるなどの会話を続けているうちに、「いつもの面子」らしき集いに私も加えられており、気がつけば茶話会なり宴会のできあがり。帰り際には開封しなかったつまみの類を持たされる、ということが何度かあった。
ご存じの方もいらっしゃるだろうが、横浜中華街は、簡易宿泊所が多数立ち並び、かつて「日本三大ドヤ街」に数えられた寿町に隣接している。そのため、海を渡った華僑たちが育んだ、日本国内でありながら異邦を思わせるあの土地は、さまざまなルーツと背景を持つ人々が入り混じっており、失礼ながら、私のような似非ではない根無し草を自認する人もいる。一人ぐらい知らない顔が混じっていたところで頓着しないおおらかさは、愛着を感じられる地元で暮らしていてもどこかよそ者のような気持ちが拭えない私には、妙に居心地がいいのだ。県外から訪れているのに、本当に妙な話であるが。
私が長くは滞在しない人間であるという点が、先方にもある種の気楽さをもたらすのか、それとも単なる酒の勢いなのか、自分の出自や、なぜ寿町界隈に流れ着いたのかを語ってくれる人もいる。一人が語ればでは自分も、とばかりに開示のリレーになったこともあった。安易にここに記すことははばかれるが、誰一人として平坦な道を歩いていない。さして語ることのない私は、聞き役に徹する。もちろん気の利いた言葉なんて思い浮かばず、へーとかほーとかうなずくのみだ。語り終えた人はなぜだか晴れやかな表情になり、「まあ。いろいろあるけど生きて行くしかないよな」などと笑うので、私もつられて笑う。
繰り返すが、私は横浜に長くは滞在しない、通りすがりの人間である。土地の現実を日常と捉えることはできないし、出会った誰かの人生に、やすやすと責任を持つことはできない。それは横浜中華街、寿町だからという問題ではなく、どこで出会った誰に対しても、私が思っていることだ。要は懐が狭いがゆえに浅いかかわり方しかできないとも言えるが、向こうだって私ごときに深入りなんて求めていないだろう。軽度の相貌失認により、人の顔を覚えるのが苦手な私は、また会える日があったとして、過去に一面識あったと気づける自信がない。だから、それぐらいがちょうどいい気がしているのだ。
しかしたった一人だけ――今ははっきりと思い出せないのだが――顔を見たら認識できると確信しており、こちらから声をかけるつもりの人物がいる。彼は仲間たちから「Kちゃん」と呼ばれていた。
その日も私は、宿のチェックインを済ませて、自分の中のしきたりである関帝廟と媽祖廟の参拝を終えると、商店でお茶や酒などを買い込み、散歩がてら腰を落ち着ける場所を探した。公園を見つけたら、やはりいつものように一人酒開始。すると背後から「こんにちは」という男性の声が聞こえた。これもいつものことなので、あいさつを返すべく振り向いた、本当に、何の気なしに。
するとそこには、人懐こそうに笑う、見覚えのある顔があった。それが「Kちゃん」との初対面であった。
そう、初対面であるにも関わらず、見覚えのある顔だったのだ。しかも前述したように、人の顔を覚えるのがとても苦手な私が覚えている――頭の中にある矛盾のつじつまを合わせられる“可能性”が浮かんだが、唐突に確認するのは無礼かつ無粋に思えてしまい、私も「こんにちは」と会釈をした。
「初めてお会いしますよね? 最近こちらに引っ越して来たんですか?」
「いえ、仕事で東京に来たついでで。観光みたいなもんですね」
「公園で一人酒してる観光客、なかなかいませんよね」
とKちゃんが笑うので、確かにそうですね、と私も笑い、手持ちの缶ビールをKちゃんに手渡した。
Kちゃんは、寿町の簡易宿泊所で暮らしており、日常的に中華街まで出向いているのだそうだ。何の仕事をしているのかは明言しなかったが、何かの仕事をしていると言っていた。顔見知りは多いようで、通りすがりにKちゃんとあいさつを交わす人がたくさんいた。そのうち何人かは酒やつまみを手に戻ってきて、乾杯をした。明日は早いからと早々に離席する人もいれば、新たに加わる人もいて、その場の空気を共有しながらそれぞれが笑ってはいるが、全員が同じ話題で盛り上がることはない。そんなゆるやかで静かな宴席の片隅に、Kちゃんと私もいた。
会話を続けるうち、Kちゃんと私が同い年であることと、共通の趣味があることも判明して意気投合。話が盛り上がるにつれ、彼には空白のような期間があることにも気づいた。しかし、掘り下げる必要を感じられなかったので放っていたところ、向こうから「気にならないのか」と問うてきた。「まったく」と、私は即座に返答したのだが、なぜか向こうは「話したいから聞いてくれるか」とさらに問うてきた。私はうなずいた。
それからKちゃんは自分が都内の出身であること、若い頃には打ち込んでいるものがあったのだけれど、とあるできごとをきっかけに諦めざるを得なくなり、同時に社会から断絶されたこと、そして地元に戻ることができなくなり、今に至るのだと話してくれた。あとは、袖口から見える入れ墨は、上半身全体に彫られていることも。ぼかして書いたが、決して軽い話ではない。「大丈夫? 引いてない?」と、Kちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んできたので、「引いた方が良かったの?」とおどけてみたところ、安心したように一旦頬をゆるめて、何かを思いついたように目を輝かせながら質問してきた。
「希望ちゃんの地元って新潟だっけ? 生まれてからずっと地元に住んでるの?」
なんだか、唐突に思えたのだが、私は数少ない転居経歴と、今は再び生まれ育った地域で暮らしていると伝えた。すると今度は横浜から行くにはどれくらいの交通費と時間がかかるのか、手ごろな価格で宿泊できる宿はあるかと聞いてきた。
「うーん……東京からだったらバスが出てるよ。大体5000円ぐらいかな、タイミングが良ければ3000円ぐらいの席があるけど。移動時間は5、6時間。最近は新潟市内にもゲストハウスがいくつかあるし、ドミトリーを選べは予算を抑えられるんじゃないかな?」
「ふーん……ねえ、新潟に遊びに行ってもいい?」
「は? 門番じゃあるまいし、私の許可必要ないでしょ」
自由にすればいいよという私の言葉を聞くと、Kちゃんはいじけたような表情を浮かべた。
「そうじゃなくてさー、俺が新潟に行ったら、一緒に遊んでくれる? って話。まだ新潟がどんなところか分からないから、どこに行きたいかは浮かばないけど……希望ちゃんが気に行っている場所に連れて行ってよ、観光地とかじゃなくて構わないから。それで、良かったら地元の友達にも紹介して。……で、なんでそんな怪訝そうな表情してんの。俺がこんなだから、友達に紹介したくないの?」
袖口をまくって入れ墨に目を落とすKちゃん。でももちろんそんな話ではない。
「いや、彫り物がある友達もいるからそんなことは気にしていないし、新潟に来てくれたとしたら一緒に遊びたいとは思うよ。でも、いきなり希望ちゃんの地元行きたい! 新潟! 友達にも会いたい! とか言われたら驚くって。大体、私は地元にあまり友達がいないよ。東京出身だとピンと来ないかもしれないけど、就職とか進学をきっかけに地元を離れる人は少なくないんだ。とにかく、Kちゃんがイメージする地元っぽさは希薄だから」
生まれ育った地元に戻ることができなくなったKちゃんは、生まれ育った土地に戻って暮らしを営む私の存在の向こう側に、手放さざるを得なかった何かが見えたのかもしれない。酒が入った勢いもあったのだろうが、誰かの友人というかたちであっても、土着のコミュニティーに受け入れられる体験を欲しているようにも思えた。でも、私はそれを提供できそうもない。
「まあ、単に新潟に興味があるっていうなら大歓迎」
Kちゃんに悪印象はなかったし、酒の席での発言だ。適当に話を合わせることもできたのだが、そうしなかったのには理由がある。Kちゃんの存在を、私が全面的に受け入れているという誤解を避けたかったからだ。
翌日は打ち合わせや私用など、朝から夕方まで予定が詰まっており、横浜に戻るころには疲労困憊だった。気に入りに店で夕食を済ませた後は即宿に戻ってそのまま就寝。Kちゃんを含む地元の人たちとは顔を合わせることなく一日を終えた。
さらに翌日、新潟に戻る日の朝。チェックアウトを済ませ、横浜中華街を後にすべくスーツケースを引きずりながら歩いていると、私の名前を叫ぶ声が聞こえてくる。
「希望ちゃん! 今日帰っちゃうの?」
声のする方向に見えたのは、息を切らして自転車をこぎ、駆け寄ってくるKちゃんの姿。
「良かった、できるなら、帰る前にあいさつしたかったから」
2日前に酒盛りをした公園で、ペットボトルのお茶を手にして並ぶ、Kちゃんと私。「あいさつしたかったのか、そうか、じゃあまたね」と立ち去ろうとしたところを引き留められ、「ちょっと話そうよ」と連れてこられたのだった。寝起きからさしたる時間が経っていなかったこともあり、まだぼんやりしている私の横で、Kちゃんは「やっぱり新潟に行ってみたい」と熱弁している。
「そのときにはいろいろお土産持っていくよ! ピアスなんてどう? 仕事柄、ハイブランドのアクセサリーも手頃に買えちゃうんだ!」
仕事柄と言われても何の仕事をしているのかが分からないし、意匠が好みであればともかく、私はハイブランドの名前を上げられただけでは心ときめかない生き物である。
「新潟に来るのに土産なんていらないし、それ買う金があるなら、回すべきところがあるんじゃないの……」
などと寝ぼけた頭で答えつつ、「これにグッとくる女性が多かったのだろうな」と彼の過去に思いを馳せてみる。
「んー……とにかく、新潟まで希望ちゃんに会いに行くのを目標に、仕事を頑張ろうと思ってるんだ。でね、ちょっと相談なんだけれど、給料の入金が遅れていて、仕事に行く交通費もないから、1万円貸してくれないかな?」
(はい、出ました寸借詐欺疑惑)
疑念が確証に変わり、私は眉をひそめた。
実は酒盛りをした日、Kちゃんが買い出しで席を外したときに、その場に集ったとある人から「大丈夫? Kちゃんからお金貸してって言われていない?」と聞かれ、注意喚起を受けていたのだ。
その話を聞く前から、あの距離の詰め方に、私は警戒していた。Kちゃんは一見強面なのだが、実は整った顔立ちをしており、なおかつ表情豊かで愛嬌がある。第一印象では悪印象を与えにくいというか、むしろ好感を得やすいタイプで、おそらく本人もそれを自覚しているだろう。浮ついた気分の旅先で、Kちゃんのようなタイプに腹を見せられてすり寄られたら、コロリと恋に落ちてしまう女性がいてもおかしくない。そんな私の読み通り、一人旅の女性をターゲットにして、寸借詐欺を繰り返しているという話だった。Kちゃんの手口はいろいろ雑な気がするのだが、旅の浮かれ気分でいるとそこも気にならないのだろうか……。
しかし私は出張で来ているお金にシビアな人間で、基本、漫画『ゴールデンカムイ』の門倉元看守部長にしか興味のない女である。残念ながら、そんな手には乗れない。
「1万円も簡単に貸せるほど私は裕福じゃないし、ついこの前知り合ったばかりの相手に1万円貸すほど脇甘くないんだよね」
「え、返すから! 絶対返すから!」
「信用できるわけねえだろ」
「じゃあ1000円でいいから! マジで食費もないんだよ!」
「じゃあ服についてるポケット全部裏返してみろ。バックパックもな。財布もだ財布も。全部見せなきゃ信用なんねえ」
こんな風に確認をしても、宿泊所なりコインロッカーなどにお金を預けている可能性もあるわけなのだが、カツアゲのような態度の私から言われるがままにポケットやバックパック、財布などを裏返して見せるKちゃんの姿が滑稽かつ哀れ、でもどこか可愛らしく思えてしまい、私は「じゃあ、これだけね」と、1000円札を手渡した。
「ありがとう! 絶対返すからね!……あ、希望ちゃん、信用してないでしょ」
「信用できるわけないじゃん」
「じゃあさ、給料がもらえる予定の〇月〇日、俺から必ず連絡をする。もし俺から連絡がなければ、ここに連絡を入れてね。いつもいる宿泊所。念のため、もう一つ、よく出入りするところの電話番号も書いておく。で、これが俺の本名だから」
Kちゃんがボールペンで連絡先をしたためた紙切れを受け取り、私は名刺を渡した。去り際、Kちゃんはあろうことか、私の頬にキスをした。1000円を渡してしまったことよりも、うまく騙せたと思われたかもしれないことのほうが腹立たしく、「てめえ、ジゴロ気取りかよ!」と怒鳴り声が出かかった瞬間、Kちゃんは颯爽と自転車で走りだしていた。
かと思ったら急ブレーキをかけて止まり、「そうだ! 希望ちゃん!」と、Kちゃんは再び私の名前を叫んだ。
「あ、新潟に行きたいのは本当だからねー!」
それを聞いて「じゃあ返すというのはやっぱり嘘か」とおかしくなり、私は静かに吹き出してしまった。
〇月〇日、もちろんKちゃんからの連絡はなかった。
さて、最後になってしまったが、「初対面であるにも関わらず、見覚えのある顔」という矛盾の理由を説明する。
それは、かつて私が夢中になって観戦していたとある競技の、アマチュアアスリートの顔が、Kちゃんの顔と酷似していたのだ。直に観戦したことはないのだが、なかなか面白い試合運びをする選手であったため、何となく注目していた。私は相貌失認とはいえ軽度であるため、写真などを繰り返し見続けることで、顔を記憶することができるのだ。
Kちゃんが紙切れに書き記した本名は、その選手と同じであった。競技の世界から名前を消したタイミングは「とあるできごと」と一致している。「とあるできごと」の詳細もネット上に残っていた。
「騙すつもりの相手に本名を教えるなんて、脇甘すぎ。Kちゃん、詐欺向いてないんじゃないかな」
最初から私を騙すつもりであったとしても、こぼした言葉の中には、いくばくかの本音が混じっていたような気がしている。もちろん、確証なんて一切ないが。
またもしKちゃんと再会できたとしたら、彼は私にどんな言葉を告げるのだろうか。私は「1000円返せ」と追いかけ回すつもりでいる。あと、彼には詐欺が向いていないことも、ちゃんと指摘しなければならない。