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2F/当番ノート

今日も爪がつるつるしている

当番ノート 第55期

>>通過儀礼4日目

初めてネイルサロンに行った。休日、仕事の関係者と会う用事があり、終わってから久しぶりに山手線に乗ったら昼下がりのがらがらの環状線が快くて、特に予定もなかったので半周以上乗りっぱなしでぼーっとしていたら、原宿に来ていた。

ああ、駅舎が建て替わったのだなあと慣れない順路で改札を出て、とりあえずラーメンを食べたところで、ふとネイルサロンというところに行ってみようと思った。

春の陽気。先日30歳になったのだけど、「せっかくだし何か初めてのことをしてみよう」と思ったまま、コロナで家に引きこもって仕事ばっかりに追われていたら、何ともないルーティンの日々だった。

そういえばこの連載も、書き始める前は、「30歳記念!初めてのことにいろいろ挑戦する記録」とかいう体当たり連載にしようかと考えたこともあったのだが、「幸せになるための100のレシピ」みたいなハートフル映画っぽいノリは向いてなさそうだと思ってやめたのだった。結果、雑多にとりあえず書きたいことを書く統一感のない連載になっている。

爪に凝るということに縁がなかった。

小学6年生のとき担任の先生が「マニキュアをすると爪呼吸ができなくなる」と言っていて、以来その言葉が呪いのように、ネイルアートを想像すると息苦しいような気がしていた。調べてみたら、別に爪は呼吸をしないらしい。なんだよ、ただの校則じゃないか。

実際問題、アトピー体質なので、掻いてしまわないように爪は短く切る癖があり、しかも掻いた翌朝には若干爪先に血がついてたりもするので、それも爪を飾るということから遠ざかる一因だった。しかし、爪呼吸について調べたついでに知ったのだが、爪は皮膚が角質として硬化したものであるらしい。皮膚が皮膚をひっかいて傷つけているのか。やりきれん。

とはいえ最近インスタグラムでよく流れてくるネイルアートアカウントには、短い爪の人でも楽しげな写真がたくさんあがっていて、ふふん、見るぶんにはかわいいもんだなと思っていた。そのサロンが原宿にあることをふと思い出したのだった。

ネイルサロンとはどのようなところだろうか。

美容院には行ったことがあるし、ピアススタジオで何度か穴をあけたこともあるし、マッサージ屋さんもたまに行くが、ネイルサロンというところは未知だ。どのような仕組みでコトが行われ、何にお金を払うのかもまったく知らない。ならば、せっかく思いついたのだから行ってみようと思った。都会でできる、非常にささやかな冒険だ。

まず、当該ネイルサロンに電話をしてみた。「今日この後、予約ができますか?」

幸い空きがあるようだった。しかし、専門用語がわからない。

「オフされますか?」オフ?今日はオフの日ですが……オフ?

「シンプルとデザインとアート、どちらのコースがよろしいですか?」どう違いますか?

「お手元でよろしいですか?」お手元の……お金で払えますかってこと……?現金払いってこと?

既存のマニュキュアをオフする(落とす)ことは不要で、それぞれのコースの差分を知り、足ではなく手の爪をお願いするということで決着して、電話は終わった。

原宿の華やかさに背筋を正され、できるだけスマートに受け答えをしようと思ったのに、電話口で失敗だった。すみません、初めてなので……と口元はもごついたが、出会ったことのない用語に触れる高揚感もある。学術的な世界や異文化の一端に興奮するのも楽しいけど、ごくそばにある日常にも、知らない用語用法はいろいろ流通していて、不意打ちでその意味を推察する過程はなぞなぞのようで面白い。お手元って、そういうことかー。

ネイルサロンは、こぢんまりとしたビルの一室にあった。プロジェクターのような機械が置かれたテーブルに案内され、「まずは整えていきますね」と微笑まれた。

手を差し出せばいいことは分かるのだが、両手をいっぺんに突き出せばいいのか、片手ずつが普通なのか、迷う。「左……ですか?」と聞いてみる。「はい、まずは左から」

差し出す深さ、指と指を揃えるべきなのか広げるべきなのか、ささいな仕草にも逡巡が及ぶ。きっと先方はそんなことは気にしていまい。

かくして、一連の施術が始まった。およその流れも知らなかったので、次は何がおこるのか、全体の工程の中でどれくらい経過しているのかもわからない。「整える」過程にも何段階もあることを知り、私はこれまでいかに爪というものに注意を払ってこなかったかを思った。

この手の「施術」は、見ず知らずの他人に身を任せる感覚、緊張感と安心感が同居する不思議な気持ちになる。美容院では頭部を完全に任せてしまうし、マッサージでは全身を。

いつ髪の毛に硫酸をかけられてもおかしくない……と言っては大変に失礼なのだが、シャンプーされてるときなんて目まで閉じてしまうのだから、それほどまでに身体の一部を他人に丹念に扱われるというのは気分の良いことなのだ。逆に、普段自分がどれほど自分の身体をぞんざいに、あるいは意識すらしていないのかということに気づかされる。髪をあえて美容院に切りに行くのは、あえて肩を揉まれに行くのは、自分では丁寧に扱いきれない身体の一部を、もてなす罪滅ぼしなのだろうと思う。

我が爪は、人生で初めてもてなされている。丁重に機械で磨かれ、やすりをかけられ。やすりには白い粉がいっぱいついて、爪も生きてるときはピンクに見えても、削られると白くなるんだなとお骨を拝む気分になった。

テーブルの上の、プロジェクターのような機械(かまくらみたいな形をしている)は、「ジェルネイル」の要となる器具だった。ジェルを塗布した都度、この機械に手を突っ込み、光を照射して固める。

始め、これはどこまで手を突っ込むべきなのか、奥まで触れては火傷するのか、そもそも無防備に手を入れていいのか、すました顔をしつつも内心ではかなりびびっていた。ローマの真実の口のようだ。嘘はついていません。今日のところは。

何度も、ジェルを塗っては固め、塗っては固め、ということを繰り返しているうちに、だんだんとこの真実の口にも心を許せるようになり、後半はトースターで焼かれるおもちのような穏やかな気分だった。こんがり。

しかし、他の施術系のものと違って、ネイルというのは目のやり場に困る。美容院であれば雑誌が読めるし、マッサージであれば目を閉じてしまえる。歯医者でも治療中はまぶたにタオルをのせてくれるので、ずっと目を閉じていられるのだが。

ネイルは、手を取られている以上、本やスマホもいじれず、うっとり目を閉じてしまったら機械への出し入れに差し障り、結果的に、彩られていく手元をじっと見つめて、ネイリストさんの器用さに感嘆を投げかける他コミュニケーションがわからないのだった。

まわりの他のお客さんは、楽しげに会話を繰り広げている。

目を閉じる施術の場合は、常に自分との対話の渦に飲み込まれる。今日は癒されて頭をからっぽにするんだ、と思って臨んでも、なぜだか目を塞いで身体を任せていると、いろんな言葉が内側からわいてくる。

抱えている悩み事だったり、こないだ読んだ記事の感想だったり、まだ返事をしてないメールのことだったり。対話というよりは、独り言のプールだ。ヨガとか禅とかを体得すれば、空洞になれるのだろうか。ちなみに歯医者でだけは、あのキーンという音が大嫌いなので、自分の中に重低音を響かせて、体内和音で緩和しようと必死なのだが。

そんな具合に、おっかなびっくり、一挙手一挙手を探り探りやっているうちに、私の両手のネイルアートは完成した。

「この仕上がりで問題ないか、触ってみてください」

つるつるしている。爪先も、人生始まって以来おそらくもっともまろやかだ。「コーティングしますね!」と言われて、ふむふむこれで仕上げかと思ったら、「本番のコーティングしますね!」と言われた入念さのだけある。多少重たい感じというか、異物感はあるけれど、息苦しさはない。やはり爪は呼吸していないようだ。

丁重にお礼を言って、店を出た。会計はちゃんとクレジットカードが使えた。視界にちらちらと、飾った爪がうつる。

こんな形で手の写真を撮られたのも初体験だ。ぢっと手を見る

本当にささやかなことだけど、今朝起きたときには知らなかった世界を知ったのだ。

思いがけず、気分がアガっていた。帰ってから、パソコンのキーボードが若干打ちづらい(打つ感触が違う)のも、なんだかにやにやしてしまう。オンライン会議で、ちらっと手元が映るとき、ひとりで照れる。きっと誰も見てないが。何より、爪先がつるっとまるまったので、皮膚をひっかきづらくなり(あと心理的にも、この爪で掻くのはなあという自制心が働き)、アトピーにも好影響があったのは意外な効能だった。

・ ・ ・

こんなエッセイっぽいものを書くとき、私はいつも過去のことばかり掘り返していた。充分「思い出」になったもの。自分の記憶の中で醸され忘却の網に漉されたものを、書きとる。4年前にアパートメントで綴ったのも、前回シベ鉄も、そんな大事な過去だった。

それはそれで楽しいのだが、たまには現在、ごく最近のことを書いてみても良いのではないかという試みで、今回。これは思いのほか(自分にとっては)面白く、ほとんど勢いで書き切ってしまった。記憶を新しいまま書き写すのは、こねくりまわす修正の余地がない。

しかし連載の現状は情けない。あるまじき遅刻が溜まっている。のんきにネイルサロンに行っている場合ではない。終了までに挽回し、通過儀礼を終わらなければ。あと4回分、よろしくお願いします。

藻(mo)

藻(mo)

フィクションの好きな会社員。酒と小説と美術館、散歩、そのために旅行する。1991年早生まれ。

Reviewed by
坂中 茱萸

- [ ] RPGなどでよく「ヒーラー」という職業を見かけます。大抵は魔法使いで、魔法の杖やポーションなどで治癒をする後方支援の役割です。現代のヒーラーはどういった職業なんだろうと考えていたのですが、医師や看護師のみならず、もしかするとセラピストやネイリストもヒーラーなのかもしれません。人が人の身体に触れるネイルサロンや美容室、マッサージといった施術は原始的なヒーリング行為に似ています。そう考えるとネイルも単にお手元のお洒落だけでなく、多分ひろーい意味での、心の治癒にもつながる行為なのだろうと思いました。

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