年末にお節を作りました。いつもは帰省するし、テキトー(がんばらない)だったのですが、義理の母から作ってごらんあなたに全部任せるからと言われました。というわけで、年賀状を書きながら、しかも羊の目によりによって蛍光ピンクを使ったものだから印刷で抜けてしまい、白目になってしまった目を入れながらであります。
最初に作ったのは金柑の甘露煮。爪楊枝で突いてへそを取り、切れ目を入れて、二度煮こぼした後に、種を取ります。種を取った金柑を鍋に敷いて、ひたひたぐらいの水を入れ、お砂糖で煮ました。ジャムの空き瓶を煮沸消毒して、詰めます。次は、数の子。1リットルにつき小さじ1杯の塩水を作り、冷蔵庫に入れ、十六時間の間に二回やり替える。昆布と鰹節で出汁を取り、醤油と塩とお酒で味を調え、冷ます。これに塩抜きが終わった数の子の皮取り除いたものを浸けます。味がしみ込むの二時間が掛かるので、この二つを作ってから、残りの四品を作りました。
さて、作っている内に楽しくなってきたわたしは、電話でうっかり母にお節を作ることになったいきさつを話します。母は栄養士をしていたくらいのひとなんで、勝手に盛り上がって、発破を掛けるのでした。何品作るんだとか、あれも簡単だから作っとけ等々。何となく気が乗らなかったけれど、わたしも、あちらの家族に良いところを見せたい気持ちを煽られてがんばってしまったのです。羊の目を書き足しつつ。
先に宅配便で発送しなければならない事情もあり、残り四品は、二十九日の晩に一気に作りました。おなます、田作り(刻んだヘーゼルナッツ入り)、八幡巻、リンゴきんとん。きんとんは、サツマイモをちゃんと裏ごししましたし、紅玉をさいの目に切って形が残るぐらい煮込んだものを混ぜ合わせます。仕上げにブランデーを入れました。おなますを作るとき入れる昆布が、買ってきたままでろーんと横たわっていた頃に比べ(キッチンばさみで食べやすい大きさに切ることを思いつかない)、我ながら格段に進歩したはずです。年賀状は年内に半分しか書けなかったけれども。
わたしは、その女子たちの虚栄心をいささか甘く見ていました。虚栄心でくくるとあれなので、ハッスルしたい気持ちと書けばいいのか、花火のような気持ちです。
一つ終わってほっとしていると、ホテルで別れ際、これはあなたが作ったことにしなさいと、母が焼き豚を押しつけてきました。電話で発破を掛けただけでは物足りなかったようです。その包みの中には、パプリカとセロリと粒マスタードまで入っていて、シーザーサラダを作るように命令されました。「もう話すんじゃなかった」とブーたれるわたしをよそに、高校生になった姪が、察したような表情を浮かべて笑って見ています。女子ってめんどくさいのよ。
あちらの実家に行きまして、他所のお台所で、自由演技でシーザーサラダを作らなければなりません。もちろん、誰が焼き豚を作ったかは最初から明かしました。そして、野菜を刻み、粒マスタードを使ったドレッシングを作りました。一同集まった中で、小さな喝采をいただき気を良くしたのも束の間、「あなたに全部任せる」と言ったひとの機嫌がいつの間にか悪くなっています。会話がくどくなり、それがどうやら信号だったようですが、わたしが気がつきませんでした。任せるとは仰った一方で、その女子だって、年に一度と張り切って準備されていたからです。たぶん。
翌日、とうとうわたしも切れまして、何が言いたいのかさっぱり分からないと言い返す事態となりました。彼女は、怒ったわたしを見てハッとして謝まったり、言い訳をされたりしました。母の仕掛けた何かのお蔭で、じつに景気よく、花火がぱんぱんぱんと打ち上がったんであります。
この話には、後日談がありまして、地元に戻ったわたしがローストビーフ(わたしは焼き豚、妹はローストビーフを渡された)を検索していたところ、妹から電話が掛かってきました。妹は、母から言われるがままに自分が作ったと嘘をついたそうです。そしたら、あちらの女子から作り方を訊かれたそうですよ。困らずに、あっさり白状すれば良かったのに。
油断してはいけません。あなたのおかあさんもかつては女子。それに気付いたとき、新しい関係性が始まるんであります。