そうだむらの そんちょうさんが ソーダのんで しんだそうだ
「そうだ村の村長さん」詩:阪田寛夫 より
どんよりとした空。ぽつぽつと雨が降り出した。開いたビニール傘にあたってははじける雨粒に、きりっと冷えたソーダ水を飲みたくなる。
子どもってなんであんなにソーダ水が好きなんだろう。コップに注がれるときのしゅわっという音。ぷちぷちとはじける泡は口に入れると踊りだす。甘いけどさわやか、カラフルな水はよりどりみどり。透明に、黄色、オレンジ、緑色。紫色もあったっけ。目でも耳でも口でも楽しい、心の端っこをくすぐってくれる飲み物。ソーダ水を飲むと気持ちがほぐれていくから不思議である。
そんなソーダ水の中の王様といえば、アイスクリームの冠をかぶったクリームソーダではないだろうか。蔵王の麓に住んでいた私がクリームソーダに出会うためには、1.仙台に用足しにいく時につれていってもらえ、2.外でご飯を食べることになり、3.入ったレストランのメニューに載っている、という3つの条件がそろわなければならなかった。お店に入り、席に通された後、渡されたメニューを開く。飲み物はメニューの最後なのは知っているけれど、はやる気持ちを隠すように前から一枚ずつめくっていく。最初から「クリームソーダ飲みたい!」というのは小さい妹の前ではなんだか子どもじみていて恥ずかしかったのだ。お姉さん然としながらも心の中でくりかえし唱えているのは、学校ではやっているあの呪文。「そうだ、そうだ、くりーむそうだ そうだむらの そんちょうさんが ソーダのんで しんだそうだ」いよいよ最後のページをめくる。いろいろな飲み物が並ぶ中、細長いラッパ型のグラスにアイスクリームを浮かべた緑色の液体の写真を探す。あった!「お母さん、私クリームソーダにする!」
さて、「そうだ、そうだ、クリームソーダ そうだむらの そんちょうさんが ソーダのんで しんだそうだ」小学生の頃、何度口ずさんだかわからないはやし言葉に続きがあることを知ったのは大人になってからだった。子どもの本と関わるようになり、詩の本をぱらぱらとめくっていたら、『そうだ村の村長さん』というタイトルが目に入った。何の気なしに目を通すとそこには驚くべきことが書いてあった。ソーダ飲んで死んだはずの村長さんは生きていたのである。「そうだむらの そんちょうさんが ソーダのんでしんだそうだと みんながいうのはウッソーだって」嘘!嘘なの!クリームソーダを飲んで死ぬなんてありえないとうすうす気づいていたけどさ、クリームソーダ飲んでぽっくり死ぬ村長さんのこと、かっこいいなって思っていたのにな。戸惑う私を置いてきぼりにして詩は続く。村長さんはクリームソーダのおかわりを10回もしていたし、ソーダ水は緑色ではなくうみの色、つまり青色だったし、最後にはクリームソーダの温泉まで登場する。そうだ村は子どもも大人も甘い夢を見ている楽園だったのだ。
今月の一冊目は『しゃべる詩、あそぶ詩、きこえる詩』です。阪田寛夫さんの「そうだ村の村長さん」はいろいろな詩集に掲載されていますが、この本はそのほかにも、声に出して読むことにより言葉が喜んで跳ねていくようなリズミカルな詩がもりだくさん。口ずさんだら止まらない、笑い出したらきりがない、そんなアンソロジーです。
そして二冊目は『うみのべっそう』。海に行ったら海水浴に、砂山づくり、貝がらを拾い集めるのもいいですね。ところが、夏休みにおじさんの海のべっそうに泊まりに行った男の子は、なんと海の中で冷やし中華を作って食べ、海底でたこと野球をし、わかめのハンモックで寝ました。どうして、そんなことができるのでしょう。それは喫茶店で飲んだ青い色のサイダーに秘密があったのです。海の中で息ができたらあなたはどんなことをしたいですか。
写真は初めて飲んだ青色のクリームソーダです。青いクリームソーダってほんとうにあるんですね。
☆今月の一冊:『しゃべる詩 あそぶ詩 聞こえる詩』(はせみつこ編 飯野和好絵/冨山房)
☆もう一冊:『うみのべっそう』竹下文子・さく 沢田としき・え/佼成出版社)