本屋を開いたんだ。本は新聞みたいなもんだ。読んだらその時のことを思い出せる。そして骨董屋も始めた。何年もの間大切にされた古いものには、お話があふれている。持っていた人みんなの日記だ。わしにとっても大切なものだ。
『マッチ箱日記』より
私はものをため込むタイプの人間だ。保育園の時の絵、5歳の誕生日に友達からもらった小さな箱、小学生の時友達と公園で集めた桜の花びらを瓶に詰めたと思われるもの、通信表はもちろん、わら半紙のクラス便り、教科書にノート、花丸のテスト、中学校の授業中に友達にまわした手紙の山、期限のきれた定期券……。蔵王の麓の私の部屋の押入れにはダンボールの箱がぎゅうぎゅうに詰まっていた。20代の頃、父が死に、家を売ることになってやむを得ず荷物を整理しなければならなくなった。私以外の家族は物に対して執着心が全くないので、自分の持っている荷物をさっとまとめた。私はというと、自分の持ち物のほか、父の部屋に残された様々なものを1つ1つ確かめながら箱に詰めた。父の高校時代の日記、大学で上京した際に母親(私の祖母)からきた手紙、膨大なネガと写真、古びたレンズ、8ミリフィルムに映写機……。母からは「捨てていきなさい」と叱られ、兄弟からは呆れられ、私は抗議し泣きながらそれらを箱に詰めていった。さて、我が家は建物が3つ寄り添うように並んでいたのだが、そのうち1つを壊して更地にするという日のこと、私は小さい頃使っていた部屋に入り、お別れにと眺めていたのだが、あるものが目に入った。それは、柱に打ち付けられていた板に書かれていた成長の記録で、何月何日ふき何才というように身長の高さに赤い色鉛筆で線が何本もひかれていた。懐かしい記憶。家族の思い出。実家がなくなるのだ、何か形あるものが欲しい。私は衝動にかられ板をはがそうと試みた。のこぎりを持ってきても、バールを使ってみても、素人には全く歯が立たない。ほとほと疲れ果てたその時、私の横を下見に来ていた大工さんが通った。ああ、神様!私は大工さんにこの板をはがしてほしい、とお願いし、高さ150センチ、幅10センチの板を無事手に入れた。そして引っ越しのトラックにこっそりとこの柱を忍び込ませることに成功した。もちろん家族からは後ほど大ブーイングを受けることになるのだが。
今回の本は『マッチ箱日記』です。皆さんは日記をつけていますか。主人公の男性がまだ少年だった時のこと、ふるさとのことを忘れないために日記をつけることにしました。しかし、読み書きができません。いったいどうやって毎日のことを記録しておけばいいのでしょう。今ではカメラもビデオもありますが、ずっと昔の話です。少年は一日1個、マッチ箱にその日の思い出を入れることにしました。マッチ箱に入っていたものは、写真、オリーブの種、魚の骨に欠けた歯、マカロニ……。本人以外にはガラクタにしか見えない小さなものの1つ1つから物語があふれだします。
冒頭の引用文は、大人になった少年が自分のひ孫に語っている言葉です。ものをため込んでしまう私の気持ちを代弁してくれているようで、とてもうれしくなりました。私はいつも、自分の、そして周りにいる人からこぼれ落ちる物語を消えないうちにせっせと拾い集めて生きています。そして、私は子どもと本をつなぐ仕事をしているのですが、一緒に本を読んだ子とも達が大きくなっていつか再び同じ本を手にしたときに、幼い時の自分、読んだ場所、そして私の事も少しだけ思い出してくれたらな、と思わずにはいられないのでした。
☆今月の一冊:『マッチ箱日記』(ポール・フライシュマン 作/BL出版)